ドイツ参謀本部:遷移する戦争の中で生まれた”参謀”という役割

評価:4(5点満点)

書名:ドイツ参謀本部

著者:渡部昇一

出版社:中央公論社

 

総評

参謀 - Wikipedia

「参謀」という言葉は現代では用語が広がり、企業経営やスポーツなどでも使用されるがもともとは軍隊における役割を示す用語である。本書はその「参謀」というものがいかなる役割、組織であり、その背景や経緯を解説したものである。

そもそも「参謀」が生まれたヨーロッパでは、17世紀から20世紀にかけて「戦争」の姿が大きく変化しており、それが「参謀」の誕生に大きく関与していると本書は語る。宗教戦争として始まり、多くの国の利害が交錯し、最終的な国土を大いに疲弊させた30年戦争の時代、その反省から生まれた国際法や道義に則り戦争が行われた「制限戦争」の時代、そいてフランス革命からナポレオンの台頭により生まれた国民国家による徴兵制が可能とした史上初の大規模動員による「国家戦争」の時代、そして戦争の大規模化による必然として生まれる「参謀本部の時代」。

戦争、もしくは軍隊がなにより「王家」の所有物である時代から、国民国家の誕生により大規模化した結果、現場(戦場)担当であるラインと、管理(兵站)担当であるスタッフを組織、部門として分離独立することが必然となる様子が、「制限戦争」の常識に捉われる欧州をナポレオンが席巻し、一方で天才であるがゆえにラインとスタッフを一人で掌握するナポレオンが、ラインからスタッフが分離したプロイセンによって敗れる様子を描くことで解説される。ラインとスタッフという概念自体はすでに会社組織では常識的だが、その本流をたどればこの「参謀本部」という組織に端を発するということだ。

本書ではプロイセン-ドイツ帝国の「参謀本部」の誕生、隆盛、没落を描いているが、それぞれの時期で重要な役割を果たす人物についての描写も興味深い。参謀本部の黎明期における、組織の生みの親であるシャルンホルスト、その弟子にあたるグナイゼナウ、隆盛期における大モルトケと首相ビスマルク、没落期におけるシュリーフェンなど様々である。特にシャルンホルストグナイゼナウについて描いた2章では、プロイセンがナポレオンとの戦争でどのような役割を果たしたかについてよく知ることができる。ナポレオンの没落については主にロシアの冬将軍と、ワーテルローにおけるイギリスのウェリントンに対する敗戦が有名だが、プロイセンナポレオン戦争に対して大きな貢献があり、その背後に参謀本部の存在があったことがよくわかる(ちなみに有名な『戦争論』の著者クラウゼヴィッツシャルンホルストの教え子)。

モルトケとドイツ参謀本部の活躍を描く4章は本書のハイライトとも言うべきだが、当時の首相であるビスマルクとの関係が興味深い。モルトケの偉大さを描きつつも、「軍人」であるモルトケの限界と、「政治家」であるビスマルクの深謀遠慮が対照的である。ビスマルクモルトケも後継者に人を得なかったが、「参謀本部」が残った軍に対して政治にビスマルクに代わるものは無かった。歴史を見ればドイツにとって正しいのは常にビスマルクであったことは、その後の時代ドイツが如何に選択を誤ったかによって証明される。第1次世界大戦におけるドイツ帝国の敗戦、更に戦後におけるヒトラーの台頭と第2次世界大戦での再びの敗戦の遠因がすでにモルトケの時代にあったということもなんとも興味深い話だ。ビスマルクという人物はとかく「鉄血宰相」の強権的なイメージで描かれることが多く、一面その描写は正しい部分もあるが、実像はもっと複雑だ。彼はあくまでドイツ一国の利益が第一で、世界平和など毒にも薬にもならないような人物だが、彼のポリシーがその後のドイツで踏襲されていれば、ヒトラーナチスも生まれなかったはずだというのは歴史の皮肉というべきだろうか。

著者である渡部昇一氏については、正直なところその政治的な姿勢に共感できないところがあり、その著書をあまり読んだことはなかったのだが、本書については非常に面白く読むことができた。著者は軍事や歴史、組織論の専門家ではないので内容の正誤までを判断することは出来ないのだが、実のところ、大モルトケビスマルクウィキペディアも本書を参照したと思える記述が多々含まれているようだ。分量としては200頁程度なので、読みやすく非常に内容のある本であると評価できる。