BS1スペシャル 「少女が神になるとき ~クマリ ネパールの祈りとともに~」:現代の「生き神様」

1/2放送のBS1スペシャル「少女が神になるとき ~クマリ ネパールの祈りとともに~」を視聴しました。

 

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”クマリ”と呼ばれ、ネパールで信仰される「生き神様」についてのドキュメンタリーです。”クマリ”は3歳程度の少女から選定され、選ばれた少女は初潮を迎えるまでの約9年程度を生き神様として過ごすことになります。家族から離れ、「クマリの館」と呼ばれる家で生活し、年に数回祭事を執り行う場合を除き、館から外出することも許されません。番組では”クマリ”を巡るネパールの人々の信仰を追い、更に12歳を迎えた当代のクマリが新たなクマリへと交代する様子を伝えます。

6年ほど前にネパールを旅行した際に、私もガイドに連れられてカトマンズの旧王宮広場にあるクマリの館を訪れたことがあります。番組を視聴したのもその時のことを思い出したからなのです。当時のガイドさんの話によれば、クマリの館はカトマンズ観光でも定番のコースなのだそうです。番組でもその様子が映されていましたが、一日に何度か窓からクマリが顔を出して、人々が祈りをささげる様子をうかがえます。その場には外国人も立ち会えます。ただし、クマリの写真を撮影することは禁止だったのですが、その慣習は今でも守られているようです。

番組で興味深かったのは、後半で描かれるクマリの代替わりのシーンですね。番組では先代のクマリにも取材を行い、生き神から人へと戻る際の苦労も語られると同時に、当代のクマリの父親のインタビューではクマリという制度を如何に現代に継承してゆくか、その一方で一人の父親として生き神から人に戻る娘をどう迎えるべきか苦慮する様子が描かれます。私がネパールへ旅行したのが6年ほど前なので、その時のクマリがこの番組で代替わりした彼女なのでしょうね。彼女が新たなクマリその座を譲り、館を出て家に帰り、人としての生活を始めて中学校に編入するまでの様子が描かれるのですが、過度に情緒的とならず淡々とその様子が映されるのですが、その様子は一つのドラマとして不思議に胸を打つものがありました。同じBS1スペシャルの番組でも先日の「欲望の資本主義2018」はひどい出来でしたが、こちらは地味な内容ながら良作でした。

”クマリ”という制度自体はPC的な文脈では批判、非難を受けかねないものである可能性もあるのでしょうが、ネパール国民以外の立場でそのような指摘を行うのは憚られるとも感じました。