ハイ・ライズ:遅すぎた映像化

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評価:2点(5点満点)

総評:

2015年に公開されたイギリス映画。SF作家J・G・バラードの後期3部作の1作を映像化した作品です。原作は既読。

一言で言うならば映像化するのが20年遅かった映画と言ったところでしょうか?バラードが本作の原作(本作では”原案”扱いですが)を出版したのが1975年。欧米で高層建築の普及が進み、日本でもようやく20~30階クラスの住宅が建てられ始めた当時を考えると、高層住宅を舞台に、居住階で区切られたヒエラルキーに端を発する秩序の崩壊と闘争、混沌を描いた本作は大きなインパクトがあったはずです。『ハイ・ライズ』を含むバラードの後期3部作(他の2作『クラッシュ』『コンクリートの島』)は初期3部作と異なりその内容にSF的な要素がほとんど見受けられないにも関わらず、これらの作品がSFとして高い評価を得ているのは、現在に比べてテクノロジーへのナイーブな信頼が成立していた当時、高層建築や高速道路などの工業的象徴となる舞台で極限状況にある人々を描いた彼の小説の先進性が高く評価されているからであると思います。

この映画化がせめて90年代までに実現していたのであれば、徐々にテクノロジーへの信頼が失われていく時代性や、俗な話ですが日本におけるタワーマンションの普及などとも絡めて、時代性、啓発性のある作品として一定の評価を得ることが出来たかもしれません。(バラードはそんな意図で原作を書いたとは全く思いませんが)

ですが20世紀もすでに10年以上経過している現在の視点で見ると、本作は時代性と言う点で機を失っている気がします。制作した当時ですでに時代性を失っているというのは映画にとってかなり致命的な欠点であると思います。

本作は映画化にあたり、登場人物の造形が原作からかなり改編されています。特に主要人物であるロイヤルとワイルダーの性格がずいぶんと俗化されてしまっており、そのため、ストーリーもなんだかありがちなタワーマンション内のマウンティングを暴力的かつ極端にカリカチュアライズした印象を受けました。タワマンにおける階層構造などと言う話はすでにネットや週刊誌のネタ話として消費される程度の扱いでしかない現在、このような改編は逆効果でしょう。せっかくストーリーはほぼ原作を踏襲しているというのに、なぜキャラクターの造形を変えてしまったのか理解に苦しみます。これではキャラクターの行動こそ原作と同じでも、動機や目的が全く変わってしまい、ストーリーを変えない意味がなくなってしまいます。おそらくは原作通りの人物造形では観客に物語が伝わりにくいなどの考慮があったのだと思いますが、原作を読んだ身としては厳しい評価とならざるを得ません。

私はバラードの作品は後期3部作も含めて愛好しているのですが、それでもおよそ大衆的とは言い難い氏の作品を、2015年のタイミングで映画化するという企画が良く通ったなあ、とその点では感心します。

しかし上に添付した公開当時のポスターですが、「さよなら理想郷」とか「完全映画化」とか、このポスターを制作したスタッフは原作どころか本作すら見ていないのではないでしょうか?宣伝文句とはいえちょっとこれはないですね。