ブラック・フラッグス 「イスラム国」台頭の軌跡:混迷の中東、その道程とは

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ブラック・フラッグス 「イスラム国」台頭の軌跡』を読了。著者のジョビー・ウォリックは本書で2016年のピュリツァー賞を受賞しています。

2018年現在ではその勢力範囲の大部分を失った「ISIL」ですが、一時はシリア・イラクにまたがる広大な領域を占有し、国家樹立を宣言するにまで至りました。本書はその背景と過程をたどったノンフィクションです。

上・下巻合わせて500頁近い本書の3分の2は主にヨルダン出身のテロリストであるアブー・ムサブ・アッ₌ザルカウィの活動の軌跡を追うことに費やされます。それは2001年のアメリカ同時多発テロに端を発し、イラク戦争やその後の混乱、更には「アラブの春」を経て中東地域が混迷を深める中で台頭した「ISIL」誕生の源流が、ザルカウィの組織した「イラクのアル₌カーイダ」にあるためです。

世俗的な独裁政権であったフセイン政権がイラク戦争により崩壊したのち、原理主義者の集団であるザルカウィの組織が如何に勢力を拡大することになったのかを本書は解説します。本書ではその理由を主にイラク戦争前後におけるアメリカ政府(イラク戦争当時のブッシュ政権)による政策の誤りにあると見ており、主に原理主義者の犯行である同時テロの延長線上にイラク戦争を置いたこと、本来水と油の関係である世俗主義フセイン政権と原理主義者のテロリストとの間の共謀関係に執着したこと、そして何よりイラク戦争後に旧政権下の官僚・軍人を大量に追放したことによるイラク統治の失敗をその原因とみなしています。

イラク戦争を契機とした世俗主義独裁政権の崩壊はその後の「アラブの春」へとつながり、結果的に中東の混迷を深め、原理主義テロリストは、アメリカの見通しに反しフセイン政権崩壊後にむしろその勢力を増し、その背景には政権を追放された多くの旧バース党出身の官僚・軍人の存在があると言われています。

結果としてフセイン政権崩壊後のイラクでは、スンニ派中心であったフセインバース党から多数派であるシーア派に政権が移り、不満・不安を抱えたスンニ派の間隙を突くようにザルカウィの一団が勢力を拡大することになります。

ザルカウィと彼の組織は組織としてその後のISILに直接つながるのみならず、ISILがその名を知らしめるに至った様々な組織運営の先駆でもあったようです。インターネット、SNSを通じた広報活動や、高度に組織化された組織運営などはその後のISILによる国家樹立に繋がるノウハウとして継承されているものだと本書で説明されています。

イラクのアル₌カーイダ」は無辜の民衆へのテロにより次第にその支持を失い、2006年にザルカウィが米国の爆撃により死亡したことで壊滅状態に陥りますが、その後継組織である「イラクイスラム国」とその指導者であるアブー・バクル・アル=バグダーディーが、今度は「アラブの春」におけるシリアの混乱状態に付け込む形で同国におけるその勢力を拡大し、また、シーア派イラク政権に対する不満を再び吸収する形で勢力を拡大し、2016年にISILの樹立を宣言することになります。

現在イスラム国はその勢力の大半を喪失した状態にありますが、本書を読めばISILの台頭を許した状況についてはその多くが解決されていないことがよく分かります。世俗主義独裁政権の後退、権力の空白に伴う混乱、イスラム宗派間の対立状況などどれも一朝一夕に解決するものではなく、今後も混迷した状況が続くものと予想されます。ならば独裁政権下での安定が良かったのか、と考えるとその不毛な2者択一に陰鬱な気持ちにならざるを得ません。

また、本書は主にザルカウィとバグダディによるISILへの軌跡を追ったものですが、両者と並び多くのページを割かれている、もう一人の主役と言うべき人物が登場します。それはヨルダン王国アブドゥッラー2世国王です。

アブドゥッラー2世 - Wikipedia

ザルカウィの出身地であり、イラク、シリアと国境を接する同国は常に原理主義の台頭に悩まされ、加えてアラブの春以降の中東における混乱の渦中にありますが、1999年に即位した国王がその後の20年弱をどれほどの苦闘の中で過ごしたのかが描かれています。

もともとは王位継承者ではなく(叔父である王太弟が継承者であった)、欧米で高等教育を受け、軍人としてキャリアを積んでいた彼が、図らずも王位を継ぐことになる点などは、シリアのアサド大統領とも類似点が多いのですが、片や現在最悪の独裁者となり、片や時代の混乱に立ち向かい、国家を安定させる指導者となるというこの対比は非常に印象的です。彼の存在が陰鬱になりかねない本書の一服の清涼剤となっているように思えます。アブドゥッラー2世国王は混乱の中、国を安定させた優れた指導者だと言えますが、同時に熱烈なトレッカー(『スター・トレック』マニア)であったり、外遊の際に航空機の操縦を自ら行うなど個性的なキャラクターが愛されており、1946年独立と若い国家ながら、王家への求心力を維持しているその手腕は高く評価されています。本書を読むとアブドゥッラー2世国王を思わず応援したくなります。それにしてもヨルダンとシリアの現状を見ると、危機における指導者の存在が如何に重要なものであるかを思い知らされます。その点については本書の隠れたポイントと言えるでしょう。