ワンス アポン ア タイム イン アメリカ:長所と短所がそれぞれ際立つ作品

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評価:2.5(5点満点中)

総評

久々に見ましたが、やはり評価の難しい作品です。セルジオ・レオーネの遺作となった本作ですが、可もなく不可もない駄作でもなく、かといって非の打ちどころのない傑作とも言い難い。好きか嫌いかで言えば好きの範疇に入る作品なのですが、評価しようとするとどうにも粗が気になってしょうがない。そんな作品です。良い点は本当に琴線に響くのですが、作品としての瑕疵(と私が考える部分)は無視することも難しい。はっきり言えば好みに合わない人にとっては評価のしどころのない作品と言っても過言は無いでしょう。

本作の良い点、悪い点をそれぞれ挙げると、

【良い点】

①エンリオ・モリコーネの音楽

エンリオ・モリコーネという作曲家は非常に器用な人で、多彩なジャンルの映画に対して楽曲を提供していますが、やはり人のノスタルジーを惹起する抒情的な曲を書かせると素晴らしく良い仕事をします(『ニュー・シネマパラダイス』や『海の上のピアニスト』などもそうですね)。本作も劇中の音楽が素晴らしく、3つの時代を交錯する物語において、特に老年に差し掛かった主人公の心情を切ないまでに演出します。しかしこれだけ「聞きやすい」と感じさせる楽曲で、なおかつモリコーネの楽曲であることを一聴しただけで分からせてしまう個性というのは作曲家としてはつくづく稀有の才能と思わざるを得ません。

②俳優陣の演技

主演であるヌードルスを演じたロバート・デ・ニーロはもちろんのこと、その相手役であるマックスを演じたジェームズ・ウッズが素晴らしいです。親友でありライバルであり商売仲間であり,,,,対極的な生き方でありながらも確かな絆を感じさせる複雑な関係を見事に演じています。デ・ニーロの芸達者振りは今更言うまでもありませんが、アクション映画のイメージが強いウッズの、デ・ニーロにも引けを取らないその好演がむしろ光る作品と言えます。

【悪い点】

※本作のネタバレを一部含みます

①整合性不足の脚本

②説明不足の演出

本作はヌードルスとマックスの関係を軸に、一種のミステリー要素を絡めた物語なのですが、その整合性がどうにもちぐはぐで、納得感が得られないのです。一例を挙げると、

・物語の冒頭でヌードルスは誰に追われていたのか?なぜ追われていたのか?

・同様にファット・モーが拷問を受けていた理由は何か?

・マックスはヌードルスをなぜ裏切ったのか?

・マックスはパッツィとコックアイも裏切っていたのか?

など、視聴後に腑に落ちない点が多々残ります。結局のところマックスと言うキャラクターの背景設定や動機付けが全くできていないので、クライマックスで明かされる彼の過去の行為に説得力が感じられないのですね。脚本や演出で捕捉できていれば良いのですが、むしろ終盤のマックスの登場に向けた意図的なミスリードを仕向ける演出(「いかれてる」との言葉への過剰反応、父親が精神を病んだことへの言及)のため、かえって脚本の分かり難さが増している気がします。個人的には登場人物の動機や物語の背景を過剰に説明する作品は好みではないのですが、さすがに本作は省略のし過ぎではないかと感じます。端的に言えば脚本と演出が伏線の仕込みに失敗した作品と評価せざるを得ません。

③上映時間の長さ

4時間弱という本作の上映時間はやはり長すぎです。本作では少年期/青年期/老年期の3つの時代軸が交錯するシナリオ構成となっていますが、少年期と青年期のエピソードが長すぎてどうにも中だるみする印象がぬぐえません。また、これだけの時間をかけながら、上記①、②で挙げた問題点を解決できなかったという点はやはり見逃せません。4時間近い時間を取るのであれば、もっと自然に物語上必要な伏線、特にマックスの行動に対する動機付けや背景を仕込むことは出来たのではないかと思います。それが出来なかったがため、本作は物語に対する納得感(カタルシスと言っても良い)が非常に薄い仕上がりとなったと感じました。

 

以上となります。

演技や音楽については満点に近く、脚本と演出は赤点という評価にならざるを得ません。最終盤のごみ収集車やエンドロールで見せるデ・ニーロの意味ありげな笑み(凄い表情!)といった演出も、正直上滑りしている感が否めません。本作は米国上映時に時系列を編集された、という点がよく否定的に語られるのですが、改めて視聴すると、なんだか配給会社側の気持ちも分からなくもない気分になりました。