グッドナイト アンド グッドラック:上質な演出が光る社会派作品

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評価:3.5点(5点満点中)

総評:

2005年公開のアメリカ映画。ジョージ・クルーニーが監督、脚本を務めた作品。1950年代、ジョセフ・マッカーシーによる赤狩りの脅威が吹き荒れた時代に立ち向かったCBSのニュースキャスター、エドワード・マローとそのスタッフたちの姿を描いた作品。

実話に基づく作品であれ、フィクションであれ、社会的なテーマをメインに据える作品には、メロドラマとノンフィクションドラマの2種類に分類できる。

前者の多くは社会的なテーマを与えつつ、おおむね勧善懲悪的な作品と同等の構造を持っており、起承転結がはっきりしている場合が多い。一方で後者の場合は事実に基づき作品が展開されるため、所謂物語的な起承転結の構造よりも事件・人物に焦点が当たる傾向が強い。

本作は後者の典型的、かつ非常に質の高い作品と言える。メロドラマ的な脚本に仕立てることも可能な題材だが、情緒的な演出を可能な限り抑えて当時のマロー達の奮闘をむしろ淡々と描いている。モノクロの画面、BGMを極力排除した演出もその意図に貢献しており、非常に効果的だ。作品のテーマと方向性、そして演出が高いレベルで整合しており、製作者としてのジョージ・クルーニーの優れた才能をうかがうことが出来る。

本作が制作された時代背景としては、アメリカのブッシュ政権が2期目を迎えており、イラク戦争後に制定された愛国者法等を巡り保守とリベラルの間で大きな軋轢が生じていた時代でもあり、その中でマッカーシズムを取り上げた本作は、ハリウッドの典型的なリベラルであるクルーニーの政治的スタンスがよく表れている作品とも言える。一方で本人の政治的主張はむしろ控えめであり、思想性を離れて優れた演出を認めることが出来るあたり、さすがに芸能一族に生まれたサラブレッドと言うところだろうか。本人もプロヂューサー役で出演し、アカデミー賞を受賞しているのだが、本作を見るとむしろそれがジョージ・クルーニーであると気づかせないような演技であり、彼自身が本作を「ジョージ・クルーニーの映画」にすることを避けていることがよくわかる。エゴの強いスターにはなかなかできることではないし、それができるだけでスター出身の監督としては上出来だろう。

本作はメロドラマにあるようなカタルシスを得られることはなく、結末もむしろ苦いものが残る内容だ。作品のメッセージが最後のマローのスピーチにあることも明確であり、その内容もTV業界に対する告発とも言える内容だ。「エド・サリバンショーではなく教育政策を、クイズ番組ではなく中東政策を」と言うのはマローのスピーチは分かりやすい「無理のある正論」だ。若者ならともかく、社会に出てそれなりの職責を果たした経験のある者ならむしろCBS会長のペイリーに心情を寄せたくなるというものだ。そのような正論を吐くマローは、空気の読めない人物ではない。そんな人物が3大ネットワークでキャスターの座を得られるはずがなく、むしろ「空気を読まない」のだろう。赤狩りを批判し、保守派から攻撃されながらもその地位を守ることが出来たのは、彼が無辜の市民ではなく、3大ネットワークを代表するアンカーの一人であったからとも言える。彼とスタッフはマスコミの影響力を活用し、無謀ではなく勝つための戦いを繰り広げるのだ。

ならばマローの行動は高く評価すべきではないのか?そうではないだろう。すでに高い地位うや声望は、自身を守る壁であると同時に自らを縛る枷ともなる。寄せられる非難やスポンサーの離反など、地位のあるものほど避けられるものなら避けたいものだ。それでもなおその枷を最小限にするべく狡猾に立ち回り、自らの信念の為に行動する。それは誰にでもできることではない。本作は情熱の赴くままに行動する若者ではなく、酸いも甘いも嚙み分け、メリットとデメリットを図り理性的に行動する「大人の戦い」を描く物語だ。ならば痛み分けともいえるその結末は本作にふさわしいと言えるだろう。