『ダークソウルⅢ』プレイヤーへの信頼から生まれた傑作 ①

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ようやく本編の1週目をクリア。所要時間は80時間弱。まだ2つのDLCも残っているが、今の時点で感想を書くことにする。

クリア直後の感想は「虚脱感」の一言に尽きる。その理由は2つ。一つはあの手ごわいボスキャラを全て倒しきったこと。もう無理だ、と何度も思いつつ回数を重ね、やめよう、と何度も思いつつまたプレイを繰り返す。苦行にも近いその行為の果てに得た感想は「達成感」と言うより、”これ以上何もしたくない”という感情が近いだろう。

虚脱感の理由二つ目は、素晴らしい創作世界を堪能した後に残る余韻だ。良い物語、良い創作と言うものは、須らく消費されるだけにとどまらず、読了後に深い余韻を残すものだ。余韻の質はその作品によりさまざまだが、この死と破滅に彩られた不死人の物語を堪能した後に残るものは虚脱感がふさわしい。

とにかくゲームプレイも作品そのものも素晴らしい。このように充実した”虚脱感”を味わうことのできる創作物は稀だろう。

ゲームプレイは流石の難易度。しかしバランス調整は秀逸

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「ダークソウル」シリーズは言わずと知れた”死にゲー”と呼ばれる高難易度ゲームの代表格だ。海外では”Souls like"などと呼ばれるジャンルまで形成している。その3作目にして最終作である「ダークソウルⅢ」。実は前2作は未プレイであり、本作で初めてその”死にゲー”っぷりを味わうことになった。

もう難しいったらありゃしない。これまで”死にゲー”に関心がなく、むしろ難易度の高いゲームを避けてきた身には厳しすぎる難易度。そこらのモブにすら複数に囲まれるとあっさり死ぬ。エリアにおける敵の配置も、良く言えば練られている。悪く言えば意地が悪く、アイテムに釣られ、敵に追われ、道に迷い、その先に待ち構えるモブに襲撃されることを繰り返す。そうやって少しずつ探索の範囲を広げ、エリアのボスを撃破して次のエリアに進むことがプレイの基本だ。何度も死にながら繰り返すそれが、所謂 ”作業プレイ”に堕することが無いよう、工夫を凝らしている。

工夫の一つが”篝火”の存在。これはシリーズ1作目から続く仕組みだが、各エリアには複数の”篝火”が配置されており、それに触れることで所謂RPGで言うところのHP、MPおよび回復薬である「エスト」の数量が回復する。逆に篝火以外でこれらを回復する術は事実上存在しない。つまりプレイヤーはエストが尽きることを懸念しつつ探索を続け、新たな篝火を見つけるか、一度すでに見つけた篝火に引き返して回復するかの選択に常にさらされることになる。

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もう一つの工夫は”ソウル”の概念。敵を倒すことで、またはアイテムとして取得できるソウルは、本作における「経験値」と「お金」を兼ねたものであり、レベルアップや武器防具、アイテムの購入に使用する。最大の特徴は、プレイエリアで死亡した場合、全てのソウルを手放すことになることだ。手放したソウルは死亡した場所に落ちており、それを取得することで回復できるが、取得できぬまま再度死亡すると、そのソウルは完全に消失することになる。つまり自ら抱えたソウルの量により、プレイの質が変わるよう設計されている。

この篝火とソウルの存在が探索にモチベーションと緊張感を与えている。とりあえず次の篝火まで進んでみよう。でもソウルも結構たまっている。一度戻って回復するか。でも戻るとまた敵が復活してしまう。どうしようか...。その繰り返しだ。

また、一度灯した篝火には、別の篝火から転送することが可能となっている。つまりどれほど苦労したエリアであれ、一度突破して新たな篝火を見つければ再び挑む必要がなくなる。逆に言えばどれほど苦労しても、篝火を見つけずに引き返してしまえば再び倒したモブ敵は復活してやり直しだ。抱えたソウルとエストの残数を天秤にかけ、緊張に満ちた道の果てに、新たな篝火を見出した喜びは大きい。次の篝火まで進もう。その繰り返しは苦行の後押しをする。このデザインは秀逸だが、デザイナーは本当に嫌な性格しているなと思う。(誉め言葉です。)

そして探索の果てに行き着くのが、本作の醍醐味であるボス戦だ。

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各エリアの最後に配置されたボスキャラは、造形もその攻撃方法も様々であり、一筋縄ではいかない。初見であっさり倒してしまったボスも少しはいたが、ゲームが進むにつれその強さの度は増してゆき、ゲームオーバーを繰り返すことになる。

正直なところ、このボス戦を忌避してこれまで”死にゲー”をプレイしていなかったとも言える。YouTubeでゲーム実況を見ても自分がこれをクリアできるとも楽しめるとも思えなかったからだ。

そんな”死にゲー”初心者でもゲームオーバーを繰り返しながら、キャラの攻撃パターンを学習していくことで、少しずつボスとの戦闘時間を長くすることが出来る。そうなると欲が出てくるもので、あと少し頑張ろう。もう少し続ければ倒せる、と思ってしまうのだ。

ところが本作はプレイヤーのぬか喜びが大好物だ。あと半分削れば勝てる。そう思った瞬間に敵の攻撃パターンが大きく変わり、訳の分からぬまま瞬殺される。あるいは倒しきった、と思ったのもつかの間、ムービーが挿入されパワーアップしたボスが復活する。もちろんHPゲージは満タンだ。幾多のプレイヤーの心を折ってきた演出だ。終盤になるとボスを最初にどれだけ削っても「はい第2形態、第2形態」と冷めた思いを抱くのも仕方のないことだろう。

それでも攻略動画などのお世話になりつつプレイを繰り返すことで何とかボスを撃破する。その達成感は大きい。自分のゲーム歴でもこれほどの達成感を得られる作品はないと思う。

自分は死にゲー初心者のライトゲーマーではあるが、隠しボスも含めて全てのボスキャラを撃破してクリアした。多くのボスで10回以上プレイを繰り返してなんとか撃破した。特に隠れボスである「無名の王」戦が難関で、おそらく60~70回近く死んだのではないか。ラスボスでも30戦くらいはプレイした。それでも繰り返してプレイすることで少しずつパターンを把握し、戦闘時間を増やし、最終的に勝つことが出来る。反射神経の衰えた中年ゲーマーでもクリア可能なこの難易度設計は秀逸だ。

なお、本シリーズでは救済策として”白霊”と呼ばれるNPC、またはオンライン中の他のプレイヤーをサポートとして召喚することが出来る。エリア探索でもボス戦でも可能なので、どうしてもクリアできないプレイヤーに対する配慮も一応されているので、どうしてもクリアできない人は白霊を召喚するのもありだろう。自分は1週目ではオフラインに徹し、NPC以外の白霊は呼ばずにほぼソロで攻略したが、2週目以降は積極的に召喚しようと考えている。

いずれにしても高い難易度と、それに挑ませるための仕組み、そして多少(?)の底意地の悪さを兼ね備えたプレイ体験は、他にはない達成感と疲労感を味わうことが出来るだろう。はっきり言って本作は体力の落ちた身には辛い。連続プレイは2時間程度が限界だ。でも楽しい。”死にゲー”であり”マゾゲー”と呼ばれる所以だ。

長くなったので本稿は2回に分ける。後半では本作の作品世界と最終的な評価を聞きたいと思う。