『INSIDE』 救いなき世界で美しいものを見た

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『INSIDE』をクリア。プレイ時間は4時間。

『LIMBO』で衝撃のデビューを果たしたPlaydead社による2016年の作品。『LIMBO』はPS3時代にプレイ済だが、6年後にリリースされた本作は『LIMBO』に共通する世界観を持ちながらも、作品として驚くほどの深みを見せてくれた。

 

 

敷居の低いゲーム性と複雑な構造を持つコンセプト

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同社の前作である『LIMBO』は影絵のような童話的な絵柄で展開される陰惨且つグロテスクなビジュアルと、絶妙な難易度で設計されたパズルアクションが高く評価された作品だ。

本作『INSIDE』も一見すると同様のコンセプトを引き継いだ作品である印象を受ける。

しかしゲームを進めていくと、そのゲーム性においてかなりの違いを感じる。

最初に感じるのはパズルの難易度が低いことだ。『LIMBO』のパズルアドベンチャーとしての難易度は、「初見でクリアできるほどに容易ではなく、詰むほどには難しくない』という実に絶妙なもので、中には10分、20分と試行錯誤を繰り返すものもあるが、決して投げ出すほどの難易度ではない実にやりがいのあるものだった。

翻って本作のパズル要素の難易度はそれほど高くない。どれも初見でクリアできずとも、2,3回のトライでクリアできる程度の難易度だ。本作のプレイ感は寧ろ謎解きよりもアクション寄りであり、『LIMBO』がパズルアドベンチャーであるならば、本作は『パズル要素のあるアクションアドベンチャー』と評すべきだろう。

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これは本作のゲーム性におけるコンセプトにも関係しているだろう。『LIMBO』のコンセプトが”妹の捜索”という「追跡」にあたるのに対し、本作のそれは「逃走」だ。主人公の少年は森に投げ出されたその瞬間から何者かに追われ続ける。「追跡」がコンセプトである『LIMBO』ではそれを阻む障害として謎としてのパズルが存在し、「逃走」がコンセプトである本作は、そのスリルを掻き立てるアクションがそれぞれ強調されているとも感じる。

面白いのはそのコンセプトが「追跡」と「逃走」という、真逆のベクトルを持ちながらも、ゲームの進行に合わせて作品性の根本である不安で不条理な世界の核心に近づいていくという構造は共通している。真逆のコンセプトを持つならば、構造的にも真逆としてもよさそうなものだが、「逃走」しながら「世界の核心に近づく」本作は『LIMBO』よりも作品としての複雑さが増している。

これはプレイ面での敷居を下げ、間口の広い作品とすることで同社のアクの強い作品を幅広く提供する狙いがあるのかもしれない。より安易に広範な層へアピールするならば寧ろ逆の方針を選ぶだろうが、このあたりは流石としか言いようがない。

救いなきディストピアにおける逃走の真実

※本作のネタバレあり。未プレイの方はスルー推奨

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本作はプレイヤーを取り巻くその作品世界においても明確に『LIMBO』と異なるものとなっている。『LIMBO』がその言葉通り天国でも地獄でもない世界を描いているのに対して本作で描かれる世界はディストピア的だ。そこにある明白な違いは"悪意”の有無であると言って良い。同じような不条理とグロテスクなビジュアルを持ちながらも本作のそれはより生々しく歪なものとなっている。

逃走の過程でプレイヤーは様々な光景を目にする。列を成し引き立てられる群衆、まるで家畜の選別を行うかの如き儀式、意志を全て奪い取られたかのような人々、そして”ヒト”であるかも判断のつかぬ異形と禍々しい研究施設など。それは追うものと追われるものであり、奪うものと奪われるもの、支配するものとされるもののどぎついカリカチュアだ。残酷でグロテスクでありつつも寓話的であった『LIMBO』の世界とは異なり、本作の世界はひたすらリアルな人間の悪意に満ちた世界となっている。

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本作の作品としての複雑さが「”逃走”しながらも”世界の核心に近づく”」ことにある点を先に述べたが、その背景にこの”悪意”が存在している。つまり主人公である少年は、逃走しながらも実は追い込まれているに過ぎないのである。命がけの逃走すら”悪意”の手のひらの上で踊らされているに過ぎず、少年を醜悪な逃走劇の果てに世界の核心に追い詰めた本作は、その終局に向かって驚愕の展開を見せることになる。

美しいと感じる何かがそこにあった

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 逃走につぐ逃走。その果てで少年はある研究施設に辿り着く。液体で満たされた巨大な容器に追い込まれ、ガラス越しには彼を眺める多くの視線があった。ここでようやく気付くのだ。この逃走は全て仕組まれていたのだと。目の前に浮かぶ醜悪な肉塊に取り込まれ、少年の逃走は終わりを告げる。

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少年を取り巻く世界は醜く、悪意に満ちている。行き着いた帰結もまた醜悪なものでしかなかった。
しかし物語はそこで終わらない。その終着に逆らうように少年を取り込んだ怪物は動き始める。壁を破りその向こう側へ、”悪意”の先へと踏み込む。これまで”悪意”の向こう側にいた者たち。奪うものであり、支配するものであった者たちがそこにいる。暴れまわり、施設を破壊する怪物。逃げ惑い、弾き飛ばされ、哀れに潰される人々。追うものと追われるものが逆転する。這いまわる怪物は造られたもの。逃げ惑う人々は産み出したもの。主客の逆転した構図は一見この世界にふさわしい醜悪なカタルシスだ。これが製作者の見せたかったものなのだろうか?

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しかしそうではない。作り手が見せたかったのは更にその先だ。

ひたすら走り回り、周囲を破壊し、人々を踏み潰す醜悪な肉塊。操るのはプレイヤーである自分自身だ。
そして私こそが怪物の真意を理解していなかった。
怪物は本能のままに暴れまわっているのではない。この怪物には意志がある。それは逃走の意志だ。自由を求めて走る意志だ。
醜悪な肉塊となり果ててなお、少年は走り続ける。そのことに気づいたとき、もう一度世界を見る目が反転する。

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そしてただただ怪物から逃げ惑う人々の中に、異なる人々が現れる。

閉じられた扉を開くもの。
逃げ延びる道を示すもの。
壁の破壊に協力するもの。
怪物の行動を助けるもの。

それはただ危険なものを自分から遠ざける防衛本能かもしれない。
だが自分はそれを尊いものだと思った。
醜悪で背徳的で悪意に満ちたこの世界のか細い光であると信じたくなったのだ。

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そして僅かな人々の助けを借りた怪物は外の世界に飛び出す。
山を転がり落ち、夜の街を超え、その終着点へ。

辿り着いたのは海。怪物はもう動かない。暗い夜が明けた海岸で、雲間から差す朝日に照らされたそれはもう動かない。

あまりに醜悪で、そして何か美しいものを見た。そんな複雑な余韻に浸り本作は終了する。

本作には明確に説明されたシナリオは存在しない。過程も結末もその解釈は全てプレイヤーに委ねられている。だからこれはあくまで個人の解釈にすぎない。しかし本作の最後にただ不安で不条理でグロテスクなだけではないものを多くの人が感じるのではないだろうか?そして同じようになにか美しいものを見たと思える人がいることを願いたいと思うにふさわしいラストシーンだった。

作品性を更に深めたPlaydead渾身の1作。プレイ時間はわずか4時間。込められた密度はとてつもなく濃い。

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