レザボア・ドッグス:構成の妙

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評価:4点(5点満点中)

総評:

92年公開のアメリカ映画。クエンティン・タランティーノ監督の初監督作品であり、本作の高評価を切っ掛けに、次作『パルプ・フィクション』で一躍スター監督の仲間入りを果たすことになります。また、日本におけるインディペンデント系映画の認知度が広がる嚆矢となった一本でもあります。

本作の魅力は何と言ってもその構成の巧みさにあると思います。映画の粗筋自体はむしろありがちな犯罪ものであり、物語そのものにそれほどユニークな点があるものではありません。ダイヤモンド強盗の為に集められた、互いに素性も知らない5人の犯罪者。その破滅的な顛末が描かれた本作ですが、その特徴は時系列を前後させた進行と、複数の視点を絡めた群像劇にあります。

単純に時系列を過去から追うのではなく、ダイヤモンド強盗の直前・直後から映画が始まり、警察の待ち伏せを受けた主人公達は追い詰められ、疑心暗鬼に陥ります。そしてそれを追うように3人のキャラクターが強盗計画に加わるまでの経緯が挿入されます。最初に起承転結の「転」を描き、「なぜこんなことになったのか?」を過去の時系列を絡めて描くことで、観客の関心を引き付けるこの手法は次作『パルプフィクション』でさらに洗練された形に結実しますが、本作でも十分に効果を発揮しています。本作は1時間40分程の上映時間ですが、単純な物語ながら飽きさせることなく「この後どうなってしまうのか?」、起承転結の「結」に向かって物語は転がり落ちていきます。この流れは今観ても良くできています。本作が初監督作品とはとても思えないほどです。

破滅に向かうギャングたちを演じる俳優陣も素晴らしく、ハーヴェイ・カイテルをはじめ、一癖も二癖もある個性派の俳優たちが存分にその魅力を発揮しています。どちらかと言えばみなバイ・プレーヤーの印象が強い役者ばかりですが、本作の群像劇的な手法と、「寄せ集めの強盗チーム」という成り立ちを考えてもベストキャスティングであると言えます。

本作はもう25年以上も前の映画ですが、今観ても古臭さは感じず、魅力は薄れていません。それはつまり、先述した「ダイヤモンド強盗の為に集められた、互いに素性も知らない5人の犯罪者。その破滅的な顛末」という、いわばテンプレート化した物語設定が時代性の呪縛から本作を開放し、タランティーノの優れた構成力を純粋に楽しむことが出来る作品だからでしょう。本作にはスマホもe-mailもフェイスブックもインスタグラムも登場しません。この時代になかったからではなく、物語に必要がないからです。その時代性の無さゆえに、10年後でも今と同じように楽しむことが出来るのではないかと思います。(でも冒頭の会話がマドンナのヒット曲について、と言うのはさすがに今の若い人には分からないでしょうね)