ロスチャイルド 富と権力の物語:良質な年代記にしてヨーロッパ近現代史

 

評価:4(5点満点)

書名:ロスチャイルド -富と権力の物語ー(上)(下)
著者:デリク・ウィルソン
出版社:新潮社

総評

ロスチャイルド家と言えば、ネットではユダヤの陰謀などと取りざたされることが多いが、本書は欧州有数の財閥であるロスチャイルドの歴史を膨大な資料と関係者へのインタビューを基に、その成り立ちから隆盛、衰亡、そして再興を丁寧に記した良書である。

本書の見どころは大きく3つ挙げられる。

ロスチャイルド一族の年代記

1点目は本書の主題でもあるロスチャイルド家年代記である。古銭商から身を起こしたロスチャイルド家が、ヘッセン=カッセル公ヴィルヘルムお抱えの金融家として財産を築き、ナポレオン時代を経てフランクフルト・ロンドン・パリ・ウィーンに確固たる基盤を構え、国際的な金融家としての名声を確立するまでを描く第1部。すでに有力な国際財閥として成立したロスチャイルド家が、資本主義とナショナリズム、2つの嵐が席巻するヨーロッパで巧みに商売を広げ、名声や権力を得てゆく様を描く第2部。普仏戦争から第1次世界大戦までの激動の中で、徐々に衰退を迎える一族を描く第3部。一族が拡大する中で、その特徴であった一族の結束が揺らぎ始め、第2次世界大戦により壊滅的な打撃を受けつつも、新たな世代の台頭により復活を果たす第4部。一族を巡る年代記大河ドラマとも呼ぶべき波乱万丈に満ちており、読むものを飽きさせない。

本書が描き、ロスチャイルド家が生きた18世紀の後半から20世紀のヨーロッパはフランス革命を端緒とする激動の時代である。その時代の中で、ロスチャイルド家は如何に莫大な財産を築き、富と権力を行使したのかを、本書では一族の代表的な人物を次々と登場させて描いている。4か国における経済、政治的基盤とその強固なネットワークを駆使して巧みに生き残り、ビジネスを拡大する様子はネットに蔓延る陰謀論とは様相を異にする。本書では確かに一族と有力な政治家、王侯貴族との関係が記されており、その豪華さは陰謀論もさもありなんと思わせる豪華さではあるが、毀誉褒貶の激しいこの時代では特定の権力者とのつながりだけではその繁栄を説明できない。本書の第3部ではフランス復古王政から第2帝政までの激変を生きるロスチャイルドが描かれるが、その時々の権力との関係は常に密接ではなく、時に近づき、時に離れつつ、一方で他国の拠点との連携を駆使することで多くの危機を脱していることが分かる。

一方で欧州ではこれだけの隆盛を誇ったロスチャイルド家が何故アメリカ合衆国においてはその存在感が薄いのかについても本書は描いている。そこには南北戦争におけるイギリスの世論も絡んでおり、また、欧州では十全に活用されたネットワークと情報が活かされず、ある意味ロスチャイルド商会の強みが逆によくわかる興味深い1節でもあった。

興味深いヨーロッパ史の側面描写

 2点目はロスチャイルド家を通じて近現代のヨーロッパ史の、主に経済・金融および文化的な側面をうかがえることだ。

本書の描く18世紀から20世紀という時代は、産業革命を迎えたヨーロッパが経済面で新時代に入り、金融面でも大きく発展する時代でもある。その中で経済的な勢力を拡張してゆくロスチャイルド家の道程を描くことはそのままヨーロッパ経済史の一面を描写することでもある。

フランクフルトの1古銭商であったロスチャイルド家は、有力貴族の資金調達や交換紙幣(約束手形の一種)の取引で信用と財を蓄え、王侯貴族の財産の信託を受けてその財力の基盤を整える。

一方で当時産業革命の最中にあるイギリスの織物業界で地位を築き、当時ナポレオンによる大陸封鎖で経済的な困難にあるイギリスの商品を一族のネットワークを活用して大陸へと輸出することで更なる財を成すことにも成功する。さらにはその活動で得たネットワークと情報を活用し、国債や金の取引で大きな成功を収めることになる。(ワーテルローの戦いの結果をいち早くつかみ、イギリス国債の取引で莫大な利益を挙げるネイサン・ロスチャイルドのエピソードが特に有名だが、なぜロスチャイルドがその結果を誰よりも早く知りえたのかが本書で説明されている)

その後についても、鉄道事業や植民地経営など当時の時代に要請される事業に次々と一族が進出してゆく様が描かれ、当時ヨーロッパの商会というものがいかに事業を推進していたかを読み解く興味深い一冊と言えるだろう。

また、本書は当時のヨーロッパにおける新興ブルジョワジーがいかなる生活を送っていたかを詳細に記述している。ブルジョワジーのいわば頂点に君臨するロスチャイルド家の生活についての描写は、一族の年代記を彩る華として随所に挿入されている。

イギリス・ロスチャイルドの田園地方の建設ラッシュ、フランス・ロスチャイルドのパリでの豪華な暮らしぶりだけではなく、ロスチャイルド一族の子弟、子女教育まで詳細に描かれており、そこで繰り広げられた一族のドラマだけでも十分な読みごたえがある。

中でも本書の上・下巻を通じて何度も登場するシャトー・ラフィットとシャトー・ムートンを巡るイギリスとフランスのさや当てなどは、ワインを趣味とする読者にとってもなかなか興味のそそる話題ではないだろうか。(シャトー・ラフィット・ロートシルトは日本でも有名なワインの銘柄だが、1868年に"大男爵"ジェイムズ・ド・ロスチャイルドが購入している。ロートシルトロスチャイルドのドイツ読み) 

更に、ユダヤ民族のいわば富裕な層の代表ともいえるロスチャイルド家年代記は、そのままユダヤ民族の権利獲得の歴史の様相を呈している。ユダヤ人であることで受ける差別や迫害に対していかにロスチャイルド家が対応したかについても本書は多くのページを割いている。当時最も保守的な国であるオーストリアで活躍したサロモン・ロスチャイルドや、英国で初めてユダヤ人として宣誓(議員就任の際に新約聖書ではなく旧約聖書で宣誓を行う)し、議員の地位を得たライオネル・ロスチャイルドについての章はユダヤ民族史の一頁として興味深い。また、所謂シオニスト活動とイスラエル建国についてのロスチャイルドとの関わりについても詳しく書かれている。

 

個性的な一族の群像

 3点目は本書に描かれる才能・個性豊かなロスチャイルド一族の群像である。

本書の特徴として、一族の歴史を出来事としてなぞるのではなく、その時代毎に代表的、または特徴的な人物に焦点を当て、その人物を中心に物語のように筆を進めている。その結果、本書はロスチャイルド一族の群像劇としての側面を持つこととなり、多くの興味深い人物を紹介することになる。

中でも始祖マイヤー・アムシェルの息子達、ロスチャイルド家が国際的な大財閥となる飛躍の第一歩をしるした「フランクフルト5人衆」を描く第1部から第2部が、群像劇の面から言えば最も面白いだろう。

特に事業の天才と言えるイギリスのネイサンとフランスのジェイムズの存在感が際立つ。前者が正にたたき上げの商人として、持ち前の才覚で短期間のうちにロスチャイルド商会を大財閥に育て上げ、後者がいわば一族の王として君臨するのだが、本書でも第1部の主人公がネイサン、第2部の主人公がジェイムズともいえる扱いとなっている(第1部はネイサン、第2部はジェイムズの逝去で幕を閉じている)

個人的には前の二人ほどの商業的才能はないものの、外交的な才能に優れ、保守的なオーストリアユダヤ人でありながら高い地位と財を築いたサロモンについての章が最も面白く感じた。当時オーストリアのみならず欧州で最も影響力のあった政治家であるメッテルニヒと深い関係を結び、硬軟取り混ぜた政略で同国での地位を高め、商売を広げるその様子は政治・経済ドラマとしても非常に見ごたえがあると感じる。

「フランクフルト5人衆」以降も各国のロスチャイルドのリーダーを軸多くの人物が登場するが、それが事業家のみにとどまらないのがこの一族の興味深いところだ。商売には背を向け、ひたすら庭園の造成に心血を注ぐもの(ファーディナント)、博物学の研究と蒐集に情熱を傾けるもの(ウォルター)、政治活動に身を費やすもの("近代イスラエルの父"エドモン)など一族の群像は多種多様である。それらのエピソードがしばしば挿入されることが、900頁近い分量の本書を飽きずに読ませる一因にもなっているようだ。

 

歴史好き、読書好きならば読んで損はない一冊。