『フィンチ家の奇妙な屋敷でおきたこと』 ストーリーではなくナラティブ

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『フィンチ家の奇妙な屋敷で起きたこと』をクリア。所要時間は約2時間。

物語は一人の女性が船でとある島に到着した所から始まる。彼女の名はエディス・フィンチ。この島に居を構えるフィンチ家最後の一人。唯一の家族であった母親を亡くした彼女は、かつて暮らしていたフィンチ家の屋敷を再訪するためにこの島に訪れた。

非業の一族フィンチ家。皆悲運に絡めとられたような人生を送り、いずれも事故や事件による死や原因不明の失踪を遂げている。家族が増えるたびに増築を繰り返した、文字通り奇妙な構造の屋敷の中で、エディスは彼女の一族それぞれの軌跡を追体験する。

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1人称視点でプレイする本作のジャンル付けは中々難しい。プレイ当初は以前批評を書いた『Dear Ether』のような実質的にはウォーキング・シミュレーターに近い作品なのかとも感じた。

しかしプレイを進めていくうちにその印象は変わっていく。フィンチ家の奇妙な屋敷の中で、家族一人一人の部屋を巡りながら、それぞれの送った人生、その最後の軌跡を追体験する。それはこのフィンチ一族のクロニクルだ。この非業の一族が如何なる人生を送り、どのように生きていたのか、プレイヤーはエディスの目を通じて共に体験する。ネタバレになってしまうが、本作はミステリーやホラーゲームの類ではない。フィンチ家一族の死因や失踪に謎や陰謀があり、それを解明すると言ったような分かりやすい展開は一切ない。時に淡々と、時に幻想的に次々と語られる一族の悲劇。死に魅入られたかのようなその運命を辿っていく作品なのだ。

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プレイを進めていくほどに理解できるのだが、これは「ストーリー」ではなく「ナラティブ」として語られるフィンチ一族の物語だ。エディスのモノローグとして始まり、フィンチ家の家族それぞれの視点で語られる一族の年代記。起承転結の流れで始まりと終わりが定まったストーリーではなく、家族一人一人の人生が淡々と語られるクロニクル。確かにそれはナラティブな手法が相応しいだろう。本作では悲劇的な運命を辿ったフィンチ家の家族一人一人について、時に幻想的に、時にアメコミ調に、時に映画的な演出でその終焉の物語を描いていく。その表現はアート的でもあり、効果的に感情に訴える演出となっている。本作はゲームと言うメディアでナラティブを語る一つの大きな可能性を示したと言える作品だろう。正直な所この作品ほどに秀逸に、ナラティブに則した方法で作られた創作を他に知らない。本作は娯楽としてのゲームと言うより、ゲームと言う「メディア」で表現されたナラティブ作品と言うべきだろう。

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エンターテイメント的な意味で楽しい作品ではない。ストーリー的な切り口で楽しめる作品ではない。エディスがたどる一族の悲劇の歴史には、超自然的な要素も謎めいた陰謀もなく、ただやるせなく、逃れようのない運命として淡々と語られていく。その語り口に秘められた諦観が胸に沁みる。

一族最後の一人となったエディスにやがてどのような運命が待ち受けるのか?その詳細は不穏な雲に覆われ、詳細は語られない。ラストシーンは微かな希望の表れなのだろうか?それとも続いていく非業の運命を示唆するものだろうか?割り切れない余韻を残してナラティブは幕を閉じる。胸を締め付けられるような切なさと、不思議な爽やかさが同居する、奇妙な読後感が残るプレイ体験だった。

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本作の評価とは全く関係ないが、プレイして気になった点が一つある。それは非常に酔う、と言うことだ。これまでにも『Firewatch』や『Refunct』のような1人称視点の作品でも同様に酔うことはあったが、本作での酔いが一番強烈だった。連続プレイは30分が限界で、その後は1時間程度の休憩を要した。あくまで筆者の生理的な問題であり、本作の客観的な評価には一切影響しない点ではあるが、一応記しておく。

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 (2021/3/5追記)

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