ボビー・フィッシャーを探して:GIFTと成長の物語。父と子、グルとメンター

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評価:3(5点満点)

総評

1993年公開のアメリカ映画。実在するチェスの天才少年についての物語。才能の発芽と成長、ライバルの登場、苦悩と挫折、そして勝利を描くという意味ではギフテッドを描く映画としては非常にオーソドックスな脚本です。本作中の時系列は明示されていないので正確なところは分かりませんが、おそらく映画の初めから終わりまでで長くとも2年か3年程度の期間を描いているでしょうか?ビルドゥングス・ロマンを描く期間としては短いですが、多感な少年期に焦点をあてることで約2時間の枠の中にうまくドラマを盛り込めています。

本作の主要なプロットが主人公である天才少年ジョシュの成長にあることは言うまでもないのですが、それを彩る要素として「父と子」「二人の師(グルとメンター)」があげられると思います。

子供の才能を最大限に発揮させようと手を尽くす親と、その期待を裏切ることを恐れるあまり、己の才能を見失う子供との関係は、早熟の才能を描く物語では多く取り上げられるテーマです。話が進むにつれだんだんとステージパパの度を増してゆく父フレッドは、後半母親に諭されて意外とあっさり改心するので、その葛藤に時間が割かれることはありませんでしたが、短くも印象的なシーンの連続で親子が問題を乗り越えるさまが描かれていると思います。一例がジョシュの部屋を映したシーン。はじめは散らかり放題→徐々に物が少なくなる→最もスランプの時には空っぽになる(図らずもジョシュが惨敗したその前のチェス大会で父親はインタビューに「息子の部屋が片付かない」と答えている)→空っぽの部屋にフレッドがチェスで勝ち取ったトロフィーを飾るという推移を見せることでジョシュの心情の変化と一つの解決を表しているのではないかと思います。フレッドがジョシュの部屋にトロフィーを飾る行為はなかなか示唆的で、部屋をもとのようにチェス以外のおもちゃなどでいっぱいにするわけではないのです。その前の会話でフレッドはジョシュに「もうチェスをしなくてもいい」と言っているのですね。それに対してジョシュは「でも勝ちたい」と答えています。この会話を経て空っぽの部屋にトロフィーを飾ることで、親子がもう一度チェスに向き合うことが言葉ではなくうまく映像で語られていると思います。

また、本作にはジョシュの才能を巡って二人の師が登場します。路上で賭けチェスを指し、ジョシュの才能を早くから見抜いたヴィニーと、かつての名プレイヤーであるブルースの二人です。前者をローレンス・フィッシュバーン、後者をベン・キングスレーが演じていますがこのキャスティングが素晴らしいですね。

二人の師としてのスタンスも対照的です。年長の友人のように振る舞い、対局と会話を通じて自らのスタイルを示してゆくヴィニーは指導者としてはメンター的であり、教師と生徒という絶対的な関係で自らの知恵と知識を教え込むスタイルのブルースはグル的であり、どちらも2人の個性によく合った配役だと思います。クライマックスの対局を眺める両者の反応が対照的であるのもそれをよく表しています。両社ともバイ・プレイヤーとしての評価が高い俳優ですが、本作でも作品の厚みを増すうえで非常に重要な役所を達者に演じています。

タイトルも良いですね。『ボビー・フィッシャーを探して』は原作のタイトルをそのまま使用したようですが正解だと思います。また、邦題も原題をそのまま使用していることに好感が持てます。ボビー・フィッシャーというチェスに興味のない人には縁遠い人物の名をタイトルに冠する映画ですので、日本公開にあたって安易にタイトルを変更されることがなかったことは本作にとっては良いことだったと思います。本作はフィッシャーではない一人のチェスの天才を描いた物語です。その天才が目指すものはおそらく「チェスの全米(もしくは世界)チャンピオン』といった世俗的なものではありません。そうではなく、目指すものが栄光の後に失踪した伝説の天才であることが本作の詩的なところであり、だからこそタイトルは『ボビー・フィッシャーを探して』なのでしょう。