『SEKIRO:SHADOWS DIE TWICE』 進化と深化を成し遂げた傑作の誕生

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『SEKIRO:SHADOWS DIE TWICE』をクリア。全4種類のエンディングをクリアして、トロコンを達成するまでの所要時間は107時間。

堪能した。とにかくそうとしか言いようのないゲーム体験だった。ゲームプレイに、システムに、世界観に、シナリオに、キャラクターに、そのすべてを堪能した密度の濃い107時間。楽しかった、面白かった、という言葉では到底言い表せない。これほどの体験は同じくフロム・ソフトウェア作品である『DARKSOULS Ⅲ』以来だろう。事前情報をほとんど得ずにプレイした分、その思い入れは本作が勝るとすら言える。

ようやく全てのエンディングを達成した今、本作の魅力について語っていきたいと思う。

ソウルシリーズとしての”深化”

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『SEKIRO』は物語や世界観、シナリオ的な観点からは”ソウルシリーズ”ではないが、そのコンセプトやゲームデザインは”死にゲー”のパイオニアとしてのソウルシリーズの系統に連なる作品だ。ともに難易度の高いステージ攻略とボス戦で構成されたコンセプト、デス・ペナルティにより生まれる緊張感、選択自由度の高いマップデザイン、不親切と紙一重だが探索しがいのあるステージデザイン。どれを取ってもソウルシリーズでお馴染みのものだ。ソウルシリーズで言うところの”篝火”や”エスト瓶”が”鬼仏”や”瓢箪”に置き換えられている点も含めて、広義にソウルシリーズと評価しても良いと考える。そして本作は単純なソウルシリーズの焼き直しではなく、より”深化”したものとなっている。鍵縄の導入により、立体的にデザインされたマップ、中ボスの存在により増したステージ攻略における戦術性、「回生」による救済措置など、従来の作品には無かった要素が追加され、シリーズの新たな可能性を見事に示した作品に仕上がっている。

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敢えて不満点を挙げればデス・ペナルティが従来のソウルシリーズに比べて弱い点だろうか。本作の死亡によるペナルティは、主に経験値と所持金の半減となっている。これは1回目の死亡でソウルを落とし、未回収でロストする従来のシリーズと比較すれば、確定での半減という優しさ半分厳しさ半分と言った内容だが、経験値も所持金も攻略が進むほどにそれほど重要ではなくなるので、実のところ本作の死亡によるリスクはそれほど高くない。ダークソウルに比べれば死亡のハードルは低い。また、死亡により蔓延する”竜咳”のシステムも、NPCイベントの進行がとまる程度なので、これをそれほど恐れる程度も周回を重ねるほどに低くなる。具体的なアイデアは思いつかないが、デス・ペナルティのレベルはもっと上げることで特にステージ攻略の緊張感が増したのではないかと思う。この辺りは難易度に直結する問題なので非常にデザインが難しい点だが、個人的な嗜好としてはやや不満が残った。当初の想定では竜咳は放置するとNPCが死ぬ仕様だったと聞くが、正直そのくらいでもよかったのではないかと感じる。 

『隻狼』が見せつけた”進化”と”汎用性” 

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 本作が見せてくれたのはソウルシリーズとしての”深化”にとどまらない。アクションRPGとして確固たる地位を築いたソウルシリーズとは異なり、本作はアクションゲームとして新たなる方向性を示した。それは言うまでもなく”剣戟”という本作におけるアクションの本質にある。

従来のアクションゲームであれば、自らが操作するキャラクターと敵キャラクターが存在する。自キャラが攻撃した場合、敵キャラのアクションは被弾、回避、防御のいずれかとなり、敵キャラの攻撃を受けた場合のアクションも同様だ。

本作は此処に”剣戟”の要素を加えた。刀と刀のぶつかり合い。一方が攻撃して一方が受ける、というのではなく、互いの攻撃がぶつかり合う。たったこれだけの要素を追加する事でアクションゲームの型を大きく変えることになった。

これは単純に自分がプレイした作品が少ないだけかもしれないが、このお互いの攻撃がぶつかり合う”剣戟”的なアクションをここまで前面に出した作品は本作が初めてではないかと思う(さすがに本作がオリジナルと言うだけの自信はない)。

この剣戟という要素が追加されることで、本作のアクションは他に類を見ない独特なものとなった。戦闘時のアクションには「攻撃」「防御」以外に「弾き」が加えられた。これは攻めるのでも受けるのでもなく、文字通り相手の攻撃を”弾く”アクションだ。そしてHPのほかに「体幹」のステータスが加えられた。敵に攻撃を当てる、もしくはガードさせる、あるいは敵の攻撃を「弾く」ことで相手の体幹を崩していく。体幹を崩しきることで、HPの残量に関わらず致命攻撃となる”忍殺”が可能となる。

つまり本作のアクションでは、極論すると相手に一度も攻撃を当てることなく勝つことすら可能なのだ。文字通りの”剣戟”で刀と刀を交えることこそが本質。このシステムは非常に良く出来ていた。これはおそらく”剣戟”というコンセプトが先にあって生まれたシステムだと思うのだが、アクションに剣戟の要素を入れた場合、一つの懸念としてとにかく敵に攻撃が当たらない、ということが考えられる。従来のアクションゲームのように回避とガードという選択肢に加えて、お互いの攻撃についても当たり判定がある以上、双方の被弾可能性が減り、戦闘が長期化してしまう可能性があるのだ。実際本作でもダークソウルなどに比べると、驚くほど敵に攻撃が当たらない。それを解決したのが”弾き”と”体幹”の導入という訳だ。HPを削り切らずとも、体幹を削り切ることで敵を倒すことが出来る。体幹を削るには積極的に敵と刃を交えて”剣戟”するのが最も効率的だ。そしてこの”剣戟”が癖になるほど面白い。こちらの攻撃を相手が受け、相手の攻撃をこちらが弾く。攻撃一辺倒では相手を崩せない。攻撃しては弾き、弾いては攻撃に移行する。相手が見合ってくればこちらから仕掛けて敵の攻撃を誘発し、それを更に弾く。まさしく”チャンバラ”。無論敵に体幹がある以上自分にも体幹が存在する。敵の攻撃を被弾したり、弾き損ねれば体幹を削られる。削り切られれば大きく体制を崩し、無防備な状態で被弾することになる。基本的に敵が硬く、自分が脆く設定されている本作では、被弾は一発でも致命傷になりかねない。このリスクを背負いつつ敵と刃を交えるのが最高に楽しいのだ。

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 この”剣戟”の導入という進化はおそらく動画を見るだけでは理解することが難しい。実際にプレイしてみないとなかなか分かりにくいものだろう。しかしこれは地味ながら”アクションゲーム”というカテゴリにおける新たな基本要素の導入に成功したと言う意味で歴史的なものだと思う。本作の発売からそろそろ1年がたつ。この大ヒットやGOTYの受賞などを考えれば、そろそろ”SEKIROフォロワー”とも言うべき作品が現れる頃ではないかと思う。

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そしてこれほどに新しく、個性的で他に類を見ないアクション要素が、前述したソウルシリーズのテンプレートに違和感なく嵌まっている点も特筆に値する。デモンズソウルを嚆矢として始まったアクションRPGとしてのソウルシリーズ。そこで培われたコンセプトや方法論が、異なるジャンルの作品での使用にも耐えうる汎用性を持ちうることが本作では証明されている。これはフロム・ソフトウェアにとっても大きな意義のあることだろう。ソウルシリーズという確立された方法論と新たなジャンルの融合。それによって新規IPの可能性は大きく広がる。将来的にはその可能性を切り開いたのが本作という位置づけになるのかもしれない。

「一人称」から「三人称」へ 

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 ソウルシリーズと言うテンプレートに新たな作品を構築した本作だが、物語、世界観やシナリオについてはダークソウル3部作とは異なる方向性を指向している。それは物語的にダークソウルと関連の無い新規IPであることや、舞台が日本の戦国時代であるなどという表面的なことにとどまらない。最も大きな変化は”視点”の変更だ。

ダークソウル3部作は基本的に「1人称の物語」だ。主人公はプレイヤーの投影であり、プレイヤーは主人公と同じ視点で自ら物語を紡いでいく構造となっている。故に主人公に個性や性格は付与されておらず、劇中で会話を発することはない。それが物語への没入感を増す効果を産み出し、プレイヤーは「はじまりの火」を巡る世界における物語を自らの中に構築していくことになる。NPCとの関わりにもそれは現れており、ダークソウルにおける幾多のNPCについて、主人公がその物語の主役になることはない。NPCシナリオにおける主役はあくまでNPCであり、主人公は時に協力者、時に敵対者、時に傍観者として関りを持つだけだ。

一方で『SEKIRO』は「3人称の物語」だ。主人公である”狼”はプレイヤーの投影ではない。明確な個性を持つ独立したキャラクターであり、プレイヤーは彼の物語とその戦いを見届ける立場にある。

この「3人称の物語」としての『SEKIRO』の特徴はシナリオに良く表れている。本作はダークソウル3部作に比較するとストーリーラインが非常に明確であり、ドラマ性が高い。竜胤と呼ばれる不死の力を巡る”狼”と登場人物のドラマが、危機に瀕した葦名の国を舞台に展開される。その物語のドラマ性を高めるのは関係する登場人物のキャラの立ち具合だ。”狼”の主君であり、竜胤を巡るドラマの中心に位置する”竜胤の御子”九朗、葦名の未来を案じ、竜胤の力を手にすることに全てを掛ける葦名弦一郎、葦名の領主であり”剣聖”と称される英雄葦名一心、”狼”の戦いを陰日向に支える仏師やエマなど魅力的なキャラクターとの関係性が物語に深みと盛り上がりを与えている。これらの登場人物は、ダークソウル的な意味でのNPCではない。ダークソウルのNPCは言ってしまえばサイドストーリーのキャラクターだ。そのような役回りのNPCは本作にも登場している。しかし弦一郎や一心は物語の核心に位置する人々であり、メインシナリオを進める上で必然的にその関係性を深め、”狼”の物語に関わる者たちだ。

このようなメインシナリオに関わる”脇役”の豊かさは従来のダークソウル的な物語構造には無かったもので、『SEKIRO』をダークソウル3部作とその物語的手法を大きく分ける点だ。乱暴な言い方をすれば、1人称であるダークソウル3部作は「プレイヤーが物語を紡ぐ」作品だが、『SEKIRO』は「プレイヤーに物語を見せる(魅せる)」作品であると言えるだろう。正直なところ、1人称視点よりも、よりストーリーテリング的なスキルの問われる3人称視点でこれだけ充実した物語を見せてくれるとは思わなかった。本作はシナリオ的な意味でもフロム・ソフトウェアの新たな方向性を示してくれた作品と言えるだろう。

感心するのは本作のゲームシステム自体がその物語性に沿ってデザインされていることだ。ゲームにおける3人称の物語構造では、基本的に脚本家の描いたシナリオに沿ってプレイを進めることになる。いわば”お仕着せ”だ。この様な構造を持つ作品は、プレイヤーに自由を与えるよりは、如何に作り手の構想にプレイヤーを乗せていけるかが問われる。そのため本作ではダークソウルのような自由なビルド設計は皆無だ。外見や服装だけでなく、スキル面でも基本的に予め用意されたツリーに沿ったビルドのみが許されている。あらかじめプレイスタイルの大枠は決められており、その中でプレイヤーはアクションや物語を楽しむことになる。自由なキャラクタービルドに基づき、自ら物語を作り上げる手法のダークソウルとは真逆のコンセプトだ。ドラマ重視のシナリオ設計である『SEKIRO』に相応しいもので、物語的な方法論とゲームプレイのコンセプトに合理的な整合性を担保する秀逸な設計であると思う。

それにしても本作のキャラクターのなんと魅力的なことか。本作のシナリオでは分かりやすい善悪の切り分けは存在しない。”狼”と九朗も弦一郎も己の正義と信念を貫いたがゆえに相克し、故にそこから生まれるドラマが盛り上がるのだ。シンプルな勧善懲悪ではこうはいかない。この脚本を書いたライターは、「ドラマを見せる」ということを明確に意識してその筆を運んだことが良く伺えるシナリオだ。

中でも葦名一心のキャラクターが本作の白眉だ。一代で国盗りを成し遂げた戦国の英雄であり、”剣聖”とまで称された剣の達人。老齢に在りながら覇気と稚気に溢れ、それでいて深い思慮と懐の広さを併せ持つカリスマ性。多くのプレイヤーをも魅了したであろうその英雄が、物語最後の敵として立ちはだかる。熱くならずにいられようか。

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エンディングルートによりプレイヤーは異なる姿の一心を目の当たりにする。”修羅”ルートにおける一心は、哀惜の念を込めて、自らが目を掛けた主人公を救うために立ちはだかる。 その戦い振りは老境を迎えてその境地にある”剣聖”の名にふさわしく、多彩な剣技と苛烈な一振りを主人公に振り下ろす。

一方で他のルートで立ちはだかる一心は全盛期そのままの姿だ。”剣聖”の名など犬に食わせろと言わんばかりの奔放振りで、片手に刀、片手に大槍を構えて縦横無尽な戦いを繰り広げる。時に拳銃を乱射しながらの破天荒な戦いぶりは、まるで”狼”との闘いを楽しむかのようだ。

この葦名一心の魅力的で複雑なキャラクターをそれぞれに描き切ったラストバトルは物語の終幕に相応しい出来だ。ゲームプレイは言わずもがな、物語の面でも本作は素晴らしいものだった。

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一つだけシナリオにおける不満、というか要望があるならば、それは葦名弦一郎の扱いに尽きる。せめて終盤に彼の想いに相応しい散り際を用意させてあげられなかったかな、と思う。ゲーム内におけるあまりの良ボスっ振りと、劇中における報われなさが大変やるせない。源の宮ステージあたりで弦一郎と最後の決着をつける舞台を用意して、せめて無力感以外の何かを得て逝かせてあげたかったと思わずにいられない。天守閣における弦一郎との戦いで、本作のプレイスタイルを掴んだ自分にとっては足を向けて寝ることのできないキャラクターなだけに、その最後を惜しむものである。  

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魅力の全てが凝縮されたボス戦 

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 そしてソウルシリーズに連なる本作の、ゲームとしての最大の魅力はやはりボス戦。今回も期待に違わぬ、いや、それ以上の満足度だった。自分は昨年Darksouls3をプレイしたことでソウルシリーズにハマり、その後Darksouls2とDemon'ssoulもプレイした。ダクソ3についてはトロコンするまでに熱中したが、事前に実況動画を色々と視聴していた(それが興味を持った切っ掛け)ので初見という感覚は薄かった。ダクソ2とデモンズについては全くの初見ではあったが、何せダクソ3がシリーズの集大成と言うに相応しい出来であっただけに、特にボス戦については既に似たようなキャラを経験していることが多く、実のところそれほどの難易度は感じなかった。

しかし今回は正真正銘の初見。本作をプレイするために実況、攻略動画はおろか、攻略サイト等の情報は一切遮断していた。おかげで本作のボス戦は中々に苦労したが、とことん楽しむことが出来た。

何せ攻略的に最初のボスに位置付けられる”鬼形部”戦で30回以上負けた。2週目以降は3分も立たず倒せる難易度なのだが、何せ序盤では本作のプレイスタイルに慣れておらず、ダクソ的なムーブでのプレイを続けていたのでとにかく負け続けた。その手前の中ボスクラスでも相当に負けた。その後、過去編のボス”まぼろしお蝶”や中盤のヤマである”葦名弦一郎戦”で本作のプレイスタイルを理解すると、本作のアクションの虜となった。その後のボスも苦戦はするが序盤に比べればかなり順調に攻略できた。”大忍び 梟”は初回撃破、”宮の破戒僧”も3回目で撃破するなど自分のプレイスキルの向上が実感できた。

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しかし最終盤に大きな壁が立ちはだかる。ラスボスの”剣聖 葦名一心”と裏ボス的に位置づけの”怨嗟の鬼”だ。とにかく負け続けた。怨嗟の鬼は40戦、剣聖一心も30戦以上かかってようやく倒すことが出来た。どちらも倒した直後は気が抜けて何も手につかない状態だった程だ。これほどのめりこんだのはやはりダクソ3の”無銘の王”や”闇喰らいのミディール”以来だろう。

こうして自分のプレイを振り返ると、実に見事に製作者の術中にハマっているなと感じる。本作のボス戦について感心するのが、それが巧みにプレイヤーを育てる ように配置されている点だ。

前半~中盤のボスは本作のプレイスタイルを教える、いわば教師役だ。ガードの”鬼形部”、弾きの”まぼろし お蝶”、剣戟の”葦名弦一郎”、と言ったように、ダークソウルとは大きく異なる本作のプレイスタイルを、プレイヤーに強いることなく身に着けるように仕組まれた者たちだ。

そして中盤以降のボスで、身に着けたプレイスタイルを存分に発揮する。弦一郎戦までに本作が意図するプレイスタイルを会得していれば、”獅子猿”や”破戒僧”、”大忍び 梟”戦を十分にエンジョイすることが出来るだろう。

そして最終版に一際高い壁となり立ちはだかるラスボスと裏ボス。それまでの戦いが嘘のように通じない。必死に相手の攻撃パターンを覚え、その対応を試行錯誤し、繰り返しプレイする。これまでのボス戦で得たプレイスキルの全てを注ぎ、遂に勝利を得る。その達成感は最高だ。

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この一連の流れは振り返るとやはり製作者の確かな意図を感じる。プレイヤーに何ら強制される感覚を押し付けることなく、自然に自らの想定するプレイスタイルを身に着けさせるこのデザインは実に秀逸だ。実のところ、本作は剣戟を意識せず、ダクソ的なHit&Awayでもガン待ちでもクリアは可能だ。しかし製作者の意図する剣戟スタイルでのプレイがボス戦においては最も効率的であり、そして最も楽しく(これは主観的な評価だが、、、)プレイできるようにデザインされている。プレイしながら製作者の手のひらの上で転がされている感覚に何度も襲われたものだが、決して不快なものではない。”やってくれるな!”と思わずつぶやきたくなるような、素晴らしい職人の仕事に感嘆するばかりだった。

本作の難易度ははっきり言って高い。カジュアル・ユーザーにとってはあり得ないレベルだろう。しかし一部のヘビー・ユーザーだけに向けにデザインされたものではない。根気さえあれば大部分のプレイヤーはクリアできるように調整されている。その職人気質な仕上がりには脱帽する。決して敷居が低いとは言えない本作が世界的なヒットを記録し、GOTYまで受賞したことの意味は大きい。今後への期待は増すばかりだ。次回作『ELDEN RING』でも間違いなく世界中のユーザーを歓喜と阿鼻叫喚の渦に巻き込んでくれること疑いなしだ。

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ちなみに本作の初見プレイ1週目のボス戦について、実況動画を作成中だ。ソウルシリーズ歴1年の素人が試行錯誤しつつ攻略した内容を、良ければご覧いただきたい。

www.youtube.com

※現在葦名弦一郎戦まで作成済。(2020/2/11)

エポックメイキングとなりうる傑作 

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 長々と書いてきたが、最後に本作に対する評価をまとめれば、ソウルシリーズを土台に新たな方向性を示した傑作と言うべきだろう。ゲームとしてのコンセプトはソウルシリーズに連なり、物語やシナリオはソウルシリーズとは完全に異なる方法論で挑み、アクションについてはこれまでにない新機軸を打ち出し、そのいずれもが矛盾することなく、高いレベルで融合した稀有な作品だ。またいつの日か、このレベルの作品に出合うことが待ち遠しくてならない。そしてその作品はやはりフロム・ソフトウェアの新作なのだろうな、とにわかファンは思わずにいられないのである。

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