『SOMA』 真の恐怖は自分自身

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『SOMA』をクリア。プレイ時間は11時間程度。

 

ゲームプレイはFPS+アドベンチャー。ジャンルはホラーと言うよりはサイコサスペンスと言うべき内容であると思う。

ゲームプレイ自体は、FPS形式となっているとはいえ、昔ながらの総当たり式アドベンチャーゲームに近いと言える。ある程度の示唆はあるものの、基本的には移動可能なエリアを探索し、アクセス可能なオブジェクトを探してシナリオを進めていく形式だ。時折パズルのようなミニゲーム形式のオブジェクトなども挿入されるが、プレイそのものはあくまでもシナリオを進行させるための没入感を高めるための添え物で、プレイ形式自身が特徴的でも新鮮なわけでは無い。

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このゲーム、特徴的であるのは自ら”ホラー”を謳っておきながら、敵が一切出てこない「セーフモード」を実装していることだ。「セーフモード」ではプレイヤーの脅威となる敵キャラクターが登場しないため、探索とシナリオに専念することが出来る。しかし、そもそも「敵」キャラクターが存在しないホラーゲームはホラーとして成立するのか?敵の存在しない『バイオハザード』『サイレント・ヒル』『DBD』を想像できるだろうか?普通ならばあり得ない。

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本作のユニークさはここにある。凶悪な敵キャラでもなく、心胆寒からしめる演出でもなく、物語そのものを恐怖として提示する。寧ろ古典的な怪奇小説の手法だが、ゲームというメディアにおけるホラージャンルが確立されると、意外にこれが新鮮な内容となりうるのだと実感した。

物語は現在のカナダ。主人公サイモン・ジャレッドが交通事故に遭う場面から開始される。事故で脳に大きな損傷を受けたサイモンは、余命幾許もないと診断され、その状況を好転させるために、トロントのクリニックで先進的な治療を受ける決心をする。クリニックを訪れたサイモンは、治療のために脳のスキャニングを受けることになる。閉鎖されたスキャナーから退出したサイモンが見たのは、訪れたクリニックではなく、荒れ果てた研究施設のような建物だった...

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以上が本作のイントロダクションだ。ここはどこなのか?なぜ自分がここにいるのか?その2点を出発点に、サイモンは探索を始めることになる。そしてその出発点こそが、本作における恐怖の本質ともいえる部分なのである。ありふれていながらもこれは非常に良く出来た導入部であると感じた。

これ以上はネタバレとなるので詳細を語ることが出来ない。ネタバレを書くことを特段制限しているわけでは無いが、本作についてはネタバレがプレイする意味をなくしてしまいかねない。本稿の表題が本稿で書くことのできる最大限のネタバレと言えるだろう。ちなみに本作にはホラーでは当たり前な「説明不可能な存在」は出てこない。それは怪物でも怪現象でも何でもよい。「説明不可能」であることが恐怖の根源であり、ホラーをホラーたらしめる本質と言っても良い。しかし本作にはそれが無い。冒頭で本作を「ホラーと言うよりサイコサスペンス」と評した所以である。しかし、それでもなお本作は「ホラー」と呼ぶに足りうる恐怖を備えている。恐怖の対象となるのは己自身の存在だ。故に本作は敵が出てこないセーフモードでプレイしても、ホラーゲームとしての本質が損なわれない作品なのである。

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ちなみに本作のベースとなっているテクノロジーについては、現実の世界でも実際の研究対象となっている。昨年NHK-BSで放送された『不老不死を追いかける男たち』で紹介されていた内容がそれだ。まだまだ基礎研究と言える段階にすら至っていない印象ではあったものの、これが実用レベルにまで高められた時、本作の恐怖は現実のものとなる。例えば30年後の世界を想像したとき、その技術は到底実現不可能と言えるだろうか?本作から得ることが出来るもう一つの「恐怖」と言えるだろう。

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『NieR:Automata 』 メインルートクリア後感想:全体的に高品質なるも演出に不満が残る

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『NieR:Automata 』Eエンドをクリアしたので総評。

プレイ時間は42時間。拾えるサブクエストはまめにこなしていたこと、Aルートのクリアまでに20時間近くかかったことを考えると、所謂3週目であるC,D,Eエンドは意外にボリュームが少ないと言える。とはいえサブクエストも3割弱残っている状態なので、それら全てを達成し、トロコンまで目指せばプレイ時間は100時間近くになるだろう。オープンワールドRPGとしては標準的なボリュームといったところか。

ゲームプレイについて

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本作のジャンルはアクションRPGだが、流石アクションに定評のあるプラチナゲームズ作成だけあり、高速かつ機動的なアクションを楽しむことが出来る。また、アクションの派手さとは裏腹に、操作自体はそれほど複雑でもなく、初心者に対する敷居が低い点も評価できる。一方で近距離の強弱や、ポッドによる多彩な遠距離攻撃などの選択肢がありながら、それらを戦略的に選択する場面が少なく、ほとんどの場合遠距離攻撃を打ちながらの近距離ごり押しで対応できるため、戦闘自体は単調になりがちだ。この点は敷居を低くするために仕方のない部分と言えるが、後半に進むほどに戦闘が作業になりがちになるのは否めないだろう。

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せめてボス戦がそれを補う役割を果たしてくれれば良いのだが、本作のボスは基本的にモブキャラの強化版レベルで、体力、手数こそ強化されているとはいえ、攻撃のバリエーションが異なるわけでは無く、それゆえにモブ相手の戦闘の延長でしかない。折角優れた戦闘アクションを実装したのだから、特徴とやり応えのあるボスが3,4体いるだけで、ゲームプレイの質は格段に上がったことだろう。その点が惜しまれる。

シナリオ・ストーリーについて

本作の物語部分については、1週目クリア時に予想した内容がある程度あたっていたようだ。ループ云々の部分は的外れだったが、既に人類が滅亡していること、アンドロイドと機械生命体の抗争が予定調和なものであることなどは予想通りだった。1週目からある程度それらを示唆する情報が散りばめられていたので、これらの点は特に意外性は無かった。

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人類を守り、勝利に導くことが存在意義であるアンドロイドにとって、既に人類が滅びた世界を描く本作は、「既に敗北した」物語であり、欺瞞というフィクションを生きる者たちの物語だ。敗北は確定しており、大逆転の余地はなく、故にカタルシスを伴う大団円はあり得ない。そのため如何にその滅びの様子を描くことが出来るのかが作品にとって重要となる。その意味でトゥルーエンドにあたるEエンディングは蛇足のようなものだ。ハッピーエンドなしでは納得できない層向けのおまけのようなものと捉えるべきだろう。

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故に物語の評価としてはA2シナリオのCエンド、9SシナリオのDエンドが対象となるのだが、ここで問題となるのが3週目における2Bの退場とA2への主人公交代の是非だろう。ライターの意図は分からないが、個人的にはこれは失敗ではなかったかと思う。

本作のラストバトルは、ラスボスである「概念人格」や機械生命体ではなく、生き残ったアンドロイドである9SとA2によるものであり、結末のやりきれなさを象徴するものだ。しかし9S、A2はともにヨルハ計画に対して妄信的でないという共通の視点があり、本来敵対する立場ではない。その両名が最終的に敵対するに至ったのは、A2がウイルス汚染された2Bに引導を渡したことに対する9Sの個人的な感情に起因する。結果として2Bの退場は、9S視点の物語の情感を盛り上げるだけの装置となり、2Bの喪失と憎悪に突き動かされる9Sの復讐譚という小さな物語にまとまる結果となったように思える。この場合、プレイアブルキャラに昇格したA2も結局脇役のままであり、Cエンドの不完全燃焼感は否めない。

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2Bを退場させるのであれば、A2についてはもっと深掘りが必要であり、少なくとも作中で9SとA2の和解が無ければ、大きな物語への昇華は難しいだろう。この点は正直ボリューム不足が否めない。結果として9Sが駄々っ子で終わった印象があり、A2の書き込み不足も含めてもったいないと思う。

2Bをそのまま生かしておく方が、物語の構成もドラマの展開も容易だと思うのだが、この辺りはライターの意図が不明だ。ただ言える点としては、本作は結果的に2B、9S、A2の群像劇となっているのだが、これは本来ライターが意図したことではなく、むしろ3者から物語の主人公を絞り切れなかったため、3者それぞれを描く結果となったのではないか、と言うことだ。3者それぞれの書き込みの足りなさを見るとそう判断するのが妥当ではないかと思える。

結論として、本作は「定められた敗北」を描く物語としては、それなりに妥当な落としどころに終着したが、ドラマの書き込みについては物足りないものだったと言える。

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演出面について

1週目の感想で書いたように、世界観の基礎となるキャラクターやフィールドデザイン、そして音楽面は本当に素晴らしい。本作を未体験のプレイヤーを引き込む要素としてこれほど素晴らしいものはそう見られない。その点は満点だ。素晴らしい音楽を背景に、美しい廃墟の中を自由に駆け回る。オープンワールドにおける至福ともいえる体験であり、本作はかなりの高品質でそれを提供していると言えるだろう。

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しかし、本作で見逃せない演出面での不満がある。それは、ゲームのプレイを演出に取り込む手法である。

具体的には2点あげられる。1点目は3週目の序盤、2Bが退場するシーンだ。当該シーンでは、ウイルスに侵食された2Bが、徐々に身体機能を失いつつ逃亡する様が延々描かれるのだが、特徴的なのはそのシーン中プレイヤーが2Bを操作し続ける点だ。

このシーンで2Bはウイルスに侵食されているため、攻撃もダッシュもジャンプも出来ず、敵キャラの攻撃をかわしつつひたすら逃げ回るより他ない。これまでの軽快なアクションとの対比させた演出として、不自由な2Bの操作をプレイヤーに強いているのだろう。

しかし、長すぎるのだ。延々と目的地まで、しかもショートカットできない遠回りでの工程を強いられる。ウイルスの進行を表現するように、段階的に機能が制限される。(初期段階で時々通常操作に戻るのもイライラを助長する)。しかも時間内に目的ににたどり着けなければ実質ゲームオーバーだ。ゲームプレイを演出に取り込むのは、本来没入感を高めることが目的だが、これでは演出にならない。単に退屈なプレイを強制しているだけの、ただのストレスだ。終盤のシナリオで、9Sにも同様の演出を行う兆候が見えたときは流石にコントローラーを投げ出しかけた。

2点目は9Sプレイ時の戦闘における「ハッキング」要素だ。支援キャラとしての位置づけである9Sは、戦闘場面において通常攻撃以外に相手にハッキングすることで内部攻撃粉うことが可能だ。また、ハッキングは戦闘以外に宝箱や開錠など様々な場面で登場する。この「ハッキング」だが、名前はともかくその実はただの「シューティングゲーム」だ。そのため自分のようなシューティングゲームが苦手な層には全く訴求しない要素だ。

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とはいえあくまでそれは1プレイヤーの好みにすぎない。問題なのは、この「ハッキング」とやらを、シナリオ上強制されることだ。一部のシナリオでは「ハッキング」をクリアしないと物語が進行しない。ところがこの「ハッキング」、なんとレベルアップに一切関係が無いのだ。その時点でどれだけレベルを上げていても、耐久力や攻撃力は全く変化しない。その状態で、シナリオ上「ハッキング」を強制されるため、そのクリアに何度もトライしなければならず、結果として作品を賞味するリズムを完全に乱されることになる。「ハッキング」と言う要素を通常のバトルとは別に表現したかった、という意図は分かるが、それがかえってプレイヤーの阻害要因となるのは本末転倒だろう。

ウイルスの侵食演出にせよ、「ハッキング」にせよ、致命的なのは、おそらく本来の意図である演出の役割を果たせていないばかりか、ユーザーにとってのストレスになるというネガティブ要因となりうる点だ。これだけ人を惹きつける、優れた世界観を持つゲームでありながら、上記の2点において自分は本作を途中でやめることを考えたのだから、そのネガティブっぷりは相当なものだ。

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これも推測にすぎないのだが、これらの演出を考案したデザイナーは、発売前に本作を通しでプレイしていないのではないだろうか?当該部分だけをテストして、自己満足に浸っていたのではないだろうか?正直通しでプレイしたうえで、この退屈さ、このストレスを放置するとは考えられない。トゥルーエンドであるEエンドまでこの「ハッキング」に付き合わされた時の馬鹿馬鹿しさは正直言葉にならない。長々とエンドロール終了まで付き合わされたのでは、エンディングの余韻もなにもあったものではなく、Eエンドの評価が辛いのも半分以上この演出のせいだ。

本作の演出は、全般的に高水準と言っていいのだが、この「ゲームプレイの演出への取り込み」に関しては、デザイナーの自己満足と思い込みが先走った大失敗としか言いようがないと思う。

総評 全体的に高水準だが、一部演出で台無し

これまで書いてきたように、『NieR:Automata 』は実に魅力的なゲームだ。世界観、音楽、デザイン、プレイ感覚全てにおいて高水準であり、同時に他の作品にない個性を併せ持つ作品だ。一方で、演出面においてかなり人を選ぶ作品であることも間違いない。自分のように本作の演出が全く肌に合わないプレイヤーにとって、その手法は物語の余韻を破壊する無粋なものであり、シナリオ面での評価を大きく下げる一因ともなりうる。

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本作を人に勧めるのはなかなかに難しい。おそらく演出面での好みに大きく左右されるからだ。とはいえセール時に半額以下の値段であるならば、問題なく進められる作品だと言えるだろう。あの演出さえなければ...と思わずにいられない。

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『NieRAutomata 』 1週目クリア後感想:嗜好性の塊。全方位向け。

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『NieR:Automata』。1週目Aルートをクリアしたのでとりあえずの感想。

目につくサブクエストを全て手掛けていくと思いのほか時間がかかり、Aルートクリアまで20時間ほどかかった。メインシナリオだけ追っていけば半分もかからないだろう。そういう意味ではボリュームにやや不満が残るのだが、本作はマルチエンディングと言うより、周回を重ねていくことで物語が進む作品のようなので、一通りのエンディングクリアまで、ボリュームについての評価は保留としておく。

作品としての総評は、メインシナリオ全てのクリア後に改めて書く予定なので、本稿は軽めに済ませておく。

まず感じたのは、とにかく本作の詰め込み具合である。なんというか、性別問わずライトも含めたオタク層をターゲットに、これだけ詰め込みゃどれかに引っかかるだろう、と言わんばかりに様々な嗜好が詰め込まれている。主人公の2B(フェチの塊)、9S(ショタ向け)で男女の性癖を鷲掴みにするだけでなく、廃墟、レトロフューチャー、重機、巨大ロボ、巨大怪獣と、オタク嗜好のある人ならば、何かしら琴線に触れるものがあるはずだ。洗練された手法とは言い難いが、「これを見てくれ!好きだろう?お前ら!」と言わんばかりの暴力的なパワーは感じられた。

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音楽とフィールドデザインは秀逸の一言。これまでプレイしたゲームの中でも三指に入る。人類が地球を去ってから数百年後の地球が舞台となる本作は、訪れるマップの全てが廃墟となっている。大都市、遊園地、砂漠、森林などそれぞれ朽ち果てた建造物と自然とのコントラストが素晴らしい造形となっている。その探索を演出する音楽もまた素晴らしい。久々にOSTを買いたくなった出来だ。グラフィックについては2017年という発売時期を考えると、正直それほど質が高いとは言い難いのだが、デザインのセンスがそれを補っていると言えるだろう。

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ストーリーについては現時点では評価できない。1週目のエンディングであるAルートだけでは物語はほとんど進んでいないからだ。Aルート自体は世界観とキャラクターの紹介という印象だったため、これだけで本作のシナリオを評価するには無理がある。Aルートで投げっぱなしになっている伏線や背景が、2週目以降で明らかになると予想しているので、評価はその後にしておくべきだろう。

ただ、Aルート序盤から不安、というか不穏な雰囲気に溢れている。エイリアンに地球が侵略され、月に人類が逃れて数百年。地球を舞台に人類側のアンドロイドと、エイリアン側の機械生命体との闘争を描く本作。感情を持たないと言いながら感情に溢れたアンドロイド、姿を見せない人類、逃亡兵の存在など、不穏な要素がそこかしこに配置され、どうにもハッピーエンドにつながるとは思えない伏線が多すぎる。かなり期待できそうな雰囲気ではある。どうも一部キャラの反応を見る限り、何らかのループ的な要素があるようにも感じられる。既に人類もエイリアンも絶滅し、アンドロイドと機械生命体とで予定調和な戦闘を繰り返している、と言うような...。そのあたりも2週目以降で分かるだろう。

現在2週目に着手中。シナリオの全体像が見える程度までクリアした後に、総評を書きたいと思う。

猿の惑星 創世記:ありがちなリブート企画と思いきや...

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評価:4点(5点満点中)

総評:

猿の惑星 創世記』は、言わずと知れた名作SF映画猿の惑星』シリーズをリブートした2011年公開作品。2001年にもティム・バートンによるリブート作品が公開されている。

バートン版『猿の惑星』の評価の際にも書いたが、『猿の惑星』はそのオチがあまりに知られた作品であるだけに、リメイクにせよリブートにせよ扱いが難しい作品だ。バートン版は果敢にも正面から挑戦したものの、興行的に大コケしたため、明らかに続編を意識した造りであったにも関わらず、1作で終了する運びとなった。

それではバートン版から10年後に制作された本作はいかなるアプローチであの名作に挑んだのだろうか?本作は3部作の1作目であり、現時点で続編である『新世紀』『聖戦記』は未視聴なので、順次視聴後にその時点での評価を書いておきたい。

物語は現在の地球が舞台となっている。製薬会社の研究者であるウィルは、アルツハイマー病に効く薬(ワクチン?)の開発を行っており、その試薬を投与された1頭のチンパンジーが驚異的な知能の高まりを見せる。その知能は生まれた子供にも遺伝されており、その子供を引き取ったウィルはシーザーと名付け、共に生活を始める...という導入だ。

猿の惑星』シリーズのリブートとして言うならば、例の”オチ”からは逃げた形になる。”猿の惑星”が地球であることは既に明らかであるし、そもそもまだ”猿の惑星”になってすらいない。”これから猿の惑星になる(かもしれない)惑星”だ。本作がこれ1作でコケたならば、完全に看板に偽りありな作品に終わったことだろう。

例の”オチ”から逃げたことは責められない。なにせおそらく初代『猿の惑星』を観たことがない人すら知っている、いわばハリウッドのアイコン的な”オチ”なのだから、正直そこに馬鹿正直に挑戦するほどのメリットは無い(ティム・バートンがそれを証明してしまった)。そのため本作は、『猿の惑星』というアイデアを新たなストーリーに織り上げるアプローチを選択した。この点は批判にあたらないだろう。

しかしその肝心のストーリーは難ありだ。『猿の惑星』全5作を観た映画ファンであれば、どうしても4作目である『猿の惑星 征服』の焼き直しに思えるだろう。そもそも主人公の名前がおなじ”シーザー”だし。

しかも時代が悪い。”アルツハイマー病の試薬を投与され、知能が発達した猿”という存在が、30年前ならまだしも、現在の感覚で言えばちっともSF的に感じられないのだ。センス・オブ・ワンダーも感じられない。フランケンシュタイン・コンプレックスも感じられない。なんというかSFなのに、扱うテクノロジーのレベルが現代的過ぎて、SFに感じられない。これはSF的には致命的だ。テクノロジーの時代性に囚われている、と言うことは、この作品は今後時がたつほどにSFとして陳腐化することが避けられないということになるからだ。この作品単体で見れば、正直SFとして10年後に生き残るのは厳しい作品と言うしかないだろう。

つまり、本作は『猿の惑星』シリーズのリブート1作目としては、アイデアが凡庸であり、SFとしては既に古臭いと評価せざるを得ない。

ならば、本作は見る価値が無いだろうか?

ところが意外にもそうではないのである。リブートとしては凡庸、SFとしては古臭い本作だが、実は王道のピルドュクス・ロマンとして観ると中々に見ごたえがある。

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本作の主人公は、科学者のウィルではなく、チンパンジーのシーザーである。ウィルは言ってしまえば物語の導入役にすぎない。本作は、シーザーを主人公とした王道のストーリーがアツいのである。

ウィルのもとで愛情にあふれる環境で育てられたシーザーは、とある事件で隣人を傷つけたことを切っ掛けに、動物保護施設に収容されることになる。そこで所長の息子に虐待をされ、同じ猿の群れからは阻害され、過酷な環境に置かれることになる。

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所長の息子役はマルフォイでおなじみトム・フェルトン

しかしシーザーはその環境に屈することなく、持ち前の知性を武器に果敢に戦いに挑む。檻を抜ける手段を得て、その怪力故に閉じ込められたゴリラを解放、彼の力を借りて猿の群れのリーダーとなる。そして彼は、ウィルの家から自らを生んだ切っ掛けとなった薬を盗み出し、群れの仲間に与える。リーダーとなったシーザーは、仲間を解放するための戦いに挑むことになる...

物語のアウトラインはこんなところだが、これはもはやSFと言うよりは一種の貴種流離譚であり成長物語だ。幸福な環境に在ったシーザーが、一転して過酷に状況に転落し、そこから抜け出すことを通じて成長する、そしてシーザーの成長とともに、猿たちの解放と言う大きな物語が動き出す。はっきり言って本作の主軸となるテーマはここだ。これならばSFと言うジャンルに縛られず、名作シリーズを新たな視点で描くことが出来る。過去に様々な作品で、アンドロイドやロボットを主人公に描かれたテーマ(最近の作品ならゲームの『Detroit: Become Human』なんかが正にそう)を、猿を主役に『猿の惑星』で描くということだ。これはなかなかに良いアプローチだと思う。

そのうえで、制作陣はなかなかに上質な王道物語に仕上げたと思う。いや、ほんとにアツいんだ、この猿たちが。

本作はシーザーの成長物語であると同時に猿族解放の物語だ。シーザーだけではなく、彼を支える仲間の描写がまた王道なのだ。

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この画を見よ!まるでどこぞの少年漫画の見開きシーンのようにキマっている!

上のカットは、施設を脱出したシーザー達が、本作における最後の戦いに挑むシーンだが、彼の周りにいる3頭にもきちんとキャラ付けがなされている。

オランウータンのモーリスは、サーカス出身で手話が使える。そのため、施設に収容されたシーザーが、初めて意志を通わせた”最初の仲間”となった。

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チンパンジーの”ロケット”は、猿山のボスであり、当初シーザーを打ち据え、拒絶したが、その後シーザーに従うことになった”最初はライバル、最後は仲間”。ゴリラのバックは、狭い檻に閉じ込められ、虐待されていたのをシーザーに救われ、その後彼がリーダーになることを手助けした”守護者”だ。

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どれもマンガやアニメに登場する主人公の仲間キャラとして、欠かせない性質やドラマを持つ存在として描かれている。だから上のカットが活きるのだ。シーザーの苦闘と成長を集約したこのカットは観る者の胸を熱くする。それを計算した上のカットだ。間違いなく製作者は本作をシーザーの成長を描く王道の物語として描いており、その試みは成功している。それを象徴するシーンと言えるだろう。

本作は、施設を脱走したシーザー達が、ヨセミテ国立公園らしき場所に流れ着いて幕を閉じる。だが既に続編への伏線がまかれている。シーザー達の知能を飛躍的に高めたウイルスは、人類には致死性を持ち、パンデミックの発生を予兆させている。また、シーザーのライバル、または敵役となるだろう猿側のキャラクターも既に登場している。

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続編ではおそらく悪役となる”コバ”。しかし分かりやすい悪役顔だ...

本作のシリーズものとして評価は、残り2作を観てから改めて書く予定だが、本作で見せたアプローチは、SFとは別の切り口を開拓することに成功している。これはなかなかに期待できると言えるだろう。そしてそのアプローチ故に、結果として単体の作品としても楽しめる作品となっている。脚本や様々なカットを観ても、それが作り手の意図的なものだと感じられる。ジャンルやアイデアではなく、正にアプローチの勝利だ。名作のリブートとして観ていたら、意外な方向からパンチを食らった気分だ。製作者の思惑にまんまと乗せられたようで、中々に悪くない視聴体験だった。

シーザーの成長と共に、猿族解放の大きな物語の序章として、彼らのエクソダスを描いた本作は、3部作の始まりとしてなかなかの出来だ。とはいえこの手の解放を描く物語は、圧制者(ここでは人類)に対する勝利と新たな王国の始まりで終わるか、その後の王国(または王個人)の破滅で終わるのが常道だ。本作の終着点がどこにあるのか、その点にも注目して続編を観ることにしよう。

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『Metro 2033 Redux』 小品だがリアル感溢れる世紀末FPS

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『Metro 2033 Redux』をクリア。最近最新作である『Metro Exodus』が発売されたから、という訳でもないのだが、もともと興味はあった作品だ。Steam版では日本語対応されていないのがネックでこれまで避けてきたが、昨年秋に有志による日本語Modが公開されたので、セール時に購入した。Modの適用も非常に簡単で、一部未翻訳な部分も存在したが、プレイの支障にはならなかった。

ノーマルエンドでのクリアで、要した時間は10時間ほど。思っていたより短いという印象だ。同じシューター系FPSの所要時間では、

『Borderlands2』:80時間

S.T.A.L.K.E.R. SHADOW OF CHERNOBYL』:41時間

Farcry3』:40時間

『RAGE』:15時間

といった所なので、類似の作品と比較してもかなりボリュームの少ない作品と言える。

まあ上に挙げた作品のうち、『RAGE』以外の3作はメインシナリオ以外にサブクエストが多く、それがボリュームを押し上げているところがあるので、一概に本作が小規模とも言えないだろう。ちなみに本作には所謂サブクエストは存在せず、オープンワールドですらないため、プレイ開始からひたすら一本道でシナリオを辿っていくことになる。

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もっともプレイ時間の長短と、作品の満足度は全く別の話だ。本作についてはクリアまでのプレイ時間こそ短いものの、なかなかやり応えのある作品だった。

まず雰囲気のある作品だ。本作の舞台は核戦争後のロシア。いわゆるポストアポカリプス系の作品だ。地上は核の冬に覆われ、人々は地下鉄の駅に避難し、そこを生活拠点として生きながらえている。地上も地下もミュータントが徘徊し、人類も共産主義ナチスに分かれて相変わらず戦いあっている、そんな世界だ。

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本作は2005年発売だが、グラフィックはなかなか高水準で、匂いや喧噪が伝わってくるようなメトロや、荒涼とした廃墟と化したモスクワの描写は、プレイの雰囲気を盛り上げるに十分だ。廃墟やポストアポカリプスの雰囲気を楽しむ向きには格好の作品だろう。

プレイについての感想としては、本作の敵はモンスター系(ミュータント)とヒューマン系(アカとナチ)がそれぞれ半々といった所。このバランスは意外に無いような気がする。ヒューマン系との戦闘でかっぱいだ弾薬を、モンスター系との戦闘で消費することの繰り返しだ。なので、弾薬の消費には結構気を遣うゲームだと思う。実際にはクリア時にかなりのストックを残すことになったが、序盤の2章くらいまではとにかく弾薬が乏しく、ある意味リアルな世紀末的窮乏プレイを強いられることになるだろう。

また、地上エリアでは定期的にフィルターの交換が必要なガスマスクが必須で、そのストックにも気をまわしたり、ヘッドライトやナイトスコープの電源となる発電機を定期的に手動で回したりと、面倒ながらも没入感を高めるギミックも悪くない。このあたりを作品の個性と見るか、余計な作業と見るかで本作の評価は異なるだろう。自分は前者だ。本作が小品ながら傑作と賞されているのは、やはり雰囲気やそのプレイ感に本作ならではの個性が存在するからだろう。

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プレイ済の作品で、ゲームプレイに関するコンセプトが近い『RAGE』と比較すると、その個性が際立つ。正直自分は『RAGE』にそれほどゲームとしての個性を感じなかった。クリア後に大した余韻も感じず、おそらく2度とプレイすることもないだろう。その原因の一つだが、同じポストアポカリプスの世界観を描きながらも、『RAGE』のそれは既視感が強すぎるのだ。要するにアニメ、マンガ、ハリウッド映画などで散々見飽きた世界。なんだかポストアポカリプスをテーマにしたアトラクションで遊んでいるような感覚で、なんと言うか切実さに欠ける。本作におけるメトロやモスクワの描写や、窮乏感を掻き立てるギミックは、確実に作品の雰囲気や没入感に貢献していると思う。本作は2005年、『RAGE』は2010年の作品だが、正直本作のほうが雰囲気もプレイ感も圧勝している。

もう一つ言っておくべきが、やはり『S.T.A.L.K.E.R. SHADOW OF CHERNOBYL』との類似だろう。どちらも旧ソ連圏を舞台にしたポストアポカリプス系のFPSシューターで、アノマリーと呼ばれる怪現象や、ストーカーと呼ばれるスカベンジャーなど、設定の類似点は多い。一部スタッフが重複していることも影響しているだろうが、『S.T.A.K.E.R』プレイ済だとニヤリとする場面も多く、こちらもプレイ済ならばより楽しめるだろう。

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もっともゲームプレイそのものはかなり感覚が異なる。『S.T.A.L.K.E.R. 』がオープンワールドを謳っていることもあり、開けた平地や広大な軍事基地などでの戦闘が多いのに対して、本作は名前の通り地下鉄や廃墟など閉鎖的な空間での戦闘がメインとなる。当然求められる立ち回りや武器も異なるので、両作とも雰囲気は似ているが、プレイ感は全く別物と言っていいだろう。最も同じスタッフが関わっているからか、敵AIの所作が結構似ている。特に『S.T.A.L.K.E.R. 』では敵を見つけるととりあえずぶっ放して角待ちしていると、わらわら敵が寄ってくるのでそこを一網打尽にする方法を良く採っていたが、本作でもヒューマン系の敵には有効で、角や出入り口に死体の山を築くことになったのはちょっと笑えた。また、超知性体的な存在が作品を通して終始示唆され、今一つ理解しがたい結末を迎えるところも両作は良く似ている。この辺りはロシアエンタメの常道なのだろうか?

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続編である『Metro Last Light Redux』も購入済。できれば今年のサマーセールの前までにはクリアしておきたいところだ。

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ザ・リーダーズ ~車で世界を変えた男たち:アメリカ産業史を描く見応えある群像劇

ヒストリー・チャンネルで放映された『ザ・リーダーズ ~車で世界を変えた男たち』がなかなか面白かったので、雑感を残しておく。



CS放送のドキュメンタリー系チャンネルは、ディスカバリー、ヒストリー、ナショジオが御三家だが、コンテンツの傾向はそれぞれ異なる。個人的な印象としては、「ディスカバリー₌ハイエンドなお茶の間向けでNHK的」「ヒストリー₌ローエンドなお茶の間向けでバラエティ的」「ナショジオ₌教養指向」なのだが、この番組はヒストリーにしては珍しくディスカバリー的な印象を受けた。3チャンネルとも車番組は番組表の一角を担う重要なコンテンツなのだが、ヒストリーの売りは『カー・ウォリアーズ』みたいな良い意味で偏差値低めなバラエティー路線が売りだと思っているが、時折このような番組も放映してくれるのはありがたい。この番組は、車を中心に、名車の変遷を辿りながら自動車の歴史を追う、と言うものではなく、どちらかと言えば会社を中心に、アメリカ自動車業界の産業史を、それぞれの会社の経営者を軸に描く群像劇というスタイルをとっている。登場するのはヘンリー・フォードをはじめとして、GMの創業者ウィリアム・C・デュラント、クライスラーの創業者ウォルター・クライスラーなど多くの人物が登場し、自動車業界の変遷を描いている。

それにしてもH・フォードの描かれ方がひどい。H・フォードが自動車業界のパイオニアであり、産業界の巨人であることは当然描かれているが、同時に彼のダークサイドと言うべき側面もかなり触れられている。自分が幼少の頃(40年以上前だが)、H・フォードと言えばエジソンと並ぶアメリカ現代史の偉人として知られていたが、近年ではその裏面もそれなりに知られるようになった。フォード社内における独裁振りや、労働運動への敵視など、およそ人格者と言い難い側面を持つ人物であることも、その業績と同等に描かれているのは、アメリカの車番組としては珍しいとも言える。実際この番組は実質的に主役はH・フォード、およびフォード社で、おそらく時間の半分以上はフォード関連に割かれている。彼のナチスへのシンパ的言動に触れていないあたりがせめてもの武士の情けと言ったところだろうか。

また、H・フォードの息子であり、2代目社長であるエドセルの描かれ方が興味深い。自分の知る限り、フォード社の凡庸な2代目、もしくはヘンリーに虐待ともいえる扱いを受け続けた不幸な息子、と言った評価を受けることが多いエドセルが、実際にはファミリー・ビジネスの2代目としては相当に優秀な人物だったという評価をしているのはこの番組が初めてだ。ヘンリーがT型フォードの成功に固執し、新技術や新車開発で大きな後れを取り、ヘンリーの独裁者振りに嫌気がさして創業時のスタッフの多くが離れる中で、粘り強くヘンリーを説得し、A型フォードの開発に導いた功績の多くがエドセルにあるのならば、やはり彼は有能な2代目と言うべきだろう。会社でも国家でも、その存続に決定的に重要なのは2代目であることはよく言われるが、その役割を十二分に果たしたと言えるだろう。A型フォード発表の直後に大恐慌に見舞われるなど、ついてない部分もあり、これまで過小評価されてきたようだが、その後も第2次世界大戦時にヘンリーの反対を押しのけて軍需向けの契約を獲得し、会社に大きな利益をもたらすなど、エドセルがヘンリーの息子であり、2代目社長でなければフォード社が今日存続していなかった可能性すらあったかもしれない。

他にも、アメリカ自動車業界では所謂”BIG3”(今となっては無意味な呼称だが)を抜きにして語れないが、1920年代後半までは、BIG3はフォード、GMダッジの3社であったというのも初めて知った。スペイン風邪の流行で、ダッジ創業者であるダッジ兄弟の急逝し、その工場をクライスラーが買い取ることで、同社がBIG3の一角に食い込むことが出来たということも番組では描かれている。

番組は全3話で構成されているが、この手の番組では珍しく、70年代に日本車の攻勢でBIG3が不振を極めた時代まで書かれている。群像劇というスタイルの特性上、そこに登場するのがリー・アイアコッカとジョン・デロリアンと言うのも興味深い。特にアイアコッカはビジネスや経営の文脈で語られることは多いが、このような車文化の文脈で番組に取り上げられることは少ないので、その点もなかなか面白かった。一方でアイアコッカと同時代で、同じような文脈で語られがちなロバート・マクナマラについてほとんど言及がなかったのは、やはりフォードの社長よりもケネディ政権での国防長官としての評価の比重が高いからなのだろうか。GMについてもデュラントよりアルフレッド・スローンに比重を高くしていることからも、製作者は”経営”という面についてより重点を置いた描き方を目指していたように思える。

最近CSのチャンネルも番組のマンネリが目立つので、見る機会も減っていたのだが久々に見ごたえのある内容だった。

ジョン・ウィック チャプター2:見どころはアクションだけ。つまり最高の映画。

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評価:4点(5点満点中)

総評:

Movie-Plusで放映していた『ジョン・ウィック チャプター2』についての感想。前作は視聴済。

しかしまあ、本作の制作陣は求められるものが何かを分かっている。そして、バランスの崩壊を恐れずに振り切るその決断も讃えたい。

本作の売りであり、ファンが求めるもの。それは何と言ってもアクションだ。映画の冒頭から出し惜しみは一切なしだ。バラエティに富んだアクションシーンがノン・ストップで畳みかける。2時間近い上映時間の本作だが、おそらくその7割近くがアクション・シーンだ。そして残りの2割5分はアクション・シーンの為の舞台装置、残りの5%がシナリオ。極端に言えばそれほどアクションに振り切った作品だ。

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アクションが売りの本作で、シナリオはもはや重要ではない。引退した伝説の殺し屋が再び銃を取る。それだけで十分だ。そう言わんばかりに筋立ての説明も非常に乏しい。冒頭のアクションシーン(本筋に一切関係が無いところがこの作品らしい)の後、物語の導入でいきなり説明もなしに”誓印”がどうのと関係も分からぬ人物から絡まれ、挙句の果てに家を爆破される。ジョン・ウィックは無口で抑揚の乏しい男だが、映画そのものも言葉数が少ない。それが却って本作の雰囲気を醸し出す効果になっている気がする、というのは誉め過ぎか。複雑な構成も、驚くような展開も、凝った伏線も存在しない。シナリオ重視の作品を好むファンには、まあ訴求しない作品だ。

畢竟アクション以外の要素は須らくその引き立てが目的となる。この映画、アクション以外の要素は全て”如何にイカしたアクションを見せるか”という目的のための演出と言っても良い。

裏世界の仕事人へサービスを提供する”コンチネンタル”がその筆頭だ。どうやら世界中に支部があるらしいこの組織、本作ではイタリアの支部が登場する。

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ジョンが”仕事”の準備のために立ち寄るわけだが、そこで利用するサービスがまたけれん味に溢れている。街角の古本屋、縫製工場、ホテルのワインセラー。それぞれが施設の見取り図、防弾スーツ、銃器の提供を行っている。

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重ねて言うが、このような仕掛けは全く映画の本筋には関係がない。このような演出は全て、ジョンのアクション・シーンを盛り上げるためのエッセンスだ。そこにこれだけの手間をかけるセンスは最高に素晴らしい。

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ベタだが会話のセンスも最高。

そして見どころのアクションだ。本作のアクションは、ハリウッドで主流のマッスル&エクスプロージョンとはだいぶ趣が異なる。メインは銃と格闘だ。どちらかと言えばカンフー映画のスピード感と香港ノワールの美意識を足し合わせたテイストと言える。
何せ大半の時間がアクションに費やされる映画だ。次から次に趣向の異なるアクションの繰り返しだ。カー・チェイス素手での格闘、ガンフー、銃撃戦、ナイフ・バトルと数え上げればキリがない。そして、本作はただボリュームを詰め込んだだけの作品ではない。如何にカッコよくアクションを見せるか、その点にあきれるほどこだわる。

例えば駅のシーンでは、

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噴水の前を歩くジョン。

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噴水が止まるとそこには、

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ジョンを狙う殺し屋カシアンの姿が。

他にも、駅構内のシーンでは、

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ホームへ向かう通路。階を挟んで対峙する2人。

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周囲の群衆にバレぬよう、サイレンサー拳銃で静かに撃ち合う。

ちなみにこの前の噴水のシーンで既に騒ぎを起こしているので、ここで密かに撃ち合う必然性はない。でもカッコよければいいのだ、制作陣的には。多分。

一事が万事。アクション・シーンは全編を通じて凝った演出に満ちている。本作の7割以上がアクション・シーンだと言ったが、それでいて2時間近い尺を飽きさせないだけの魅力が詰まっている。流れるようにアクションを見続けていたら、いつの間にか時間が経過している作品だ。

キャストも良い。主役のジョンを演じるキアヌ・リーブスをはじめ、癖のあるキャラクターを演じるにベストなキャスティングだ。

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キアヌ・リーブスは本来芸達者なタイプの役者ではないが、寡黙で抑揚のないジョンのキャラにはよく合っている。

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ジョン・レグイザモカメオ出演レベルだったのが少し残念。

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久々にキアヌと共演のローレンス・フィッシュバーン。出番は少ないが、存在感は群を抜いている。

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おそらくローズの素敵なお尻を魅せるためだけのシーン。最高だ。

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ルビー・ローズも細身のスーツに身を包んだ唖の殺し屋アレスをスタイリッシュに演じる。アレスとカシアンは、その死が明確に描かれていないところを見ると、次回作に登場させるつもりなのかもしれない。

 

とにかくアクションを魅せるため、アクションに全振りした作品。それが本作だ。どう考えてもその狙いは万人向けではない。ここまでの思い切りが出来たのも、前作のスマッシュ・ヒットがあった故ではあろうが、それでもその決断が前作を超えるヒットに結びついたということは称賛に値する。この手のアクが強いタイプの作品は、大ヒットか爆死、いずれかの結果に終わることが多い。そのため2作目と言うのはアクを抜き、凡庸化するリスクが最も高くなるが、本作はリスクに怯むことなくさらにギアを上げた。これなら次回作も期待できそうだ。

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復讐を果たしたジョンは、”コンチネンタル”を追われ、世界中の殺し屋から標的とされる。走り去るジョンの姿で映画は終幕する。露骨な次回作への繋ぎではあるが、本作の場合、これが物語の結末となっても、なかなか余韻のあるエンディングとなって良いとも思えた。既に次回作の公開は決まっているが、やはりコンチネンタルが主たる敵となるのだろうか?久々に劇場に足を運んでも良いかもしれない。本作はそれだけの価値はあるシリーズだと思う。

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ちなみにこのシーン、自分は密かに次回作への伏線だと考えている。次回作のラストシーンが、2030年にオーレリオの店に車を引き取りに来るジョン、とかいう展開になったら最高だ。