『OneShot』 壁を超える試み

先日『Factorio』が面白いと記事を書きましたが、そろそろ別のゲームをやりたくなり、昨年のウィンターセールで購入した『OneShot』を始めました。

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インディーゲームながら高い評価を受けていることが購入の決め手でしたが、確かに評判を裏切らない内容でした。セール価格は¥588でしたが値段以上の出来でした。

※注意!以下には『OneShot』の部分的なネタバレが含まれます

※ネタバレで面白さが半減するゲームなので購入を検討されている方はご注意を

 

プレイ時間は10時間程度ですが、途中までダッシュの仕方やファストトラベルの存在を把握していなかったのが理由なので、おそらく5~7時間程度でクリアできるボリュームです。ジャンルとしては「パズル要素のあるアドベンチャーゲーム」と言った内容です。

『OneShot』はプレイヤーと主人公によるインタラクティブなやりとりが特徴的な、新感覚パズルアドベンチャーゲームです。 太陽の失われた見知らぬ土地で目覚めた主人公「ニコ」を導き、世界に光を取り戻す旅に出ましょう。  

 ジャンルやストーリーそのものについては同種のそれが昔から存在するものであり、殊更斬新であるとかユニークであるというほどのものではないのですが、本作の特徴はそのギミックや演出が「第4の壁」を超える試みであるということでしょう。

 

第四の壁 - Wikipedia

 

具体的な例を挙げることはネタバレにつながるので言及を避けますが、ゲーム内の所々に仕掛けられた謎解きについて、その謎を解くためのヒントが提示されます。その提示の方法がこれまでのパズルゲームやアドベンチャーゲームには無い手法であり、最初は少々戸惑いますがとても斬新に感じました。

また、そのヒントの提示方法そのものが、演出の一部として物語の内容に取り込まれており、メタフィクション的な構造を演出することに成功しています。ゲーム内における物語と演出が高いレベルでリンクしていることも素晴らしいですが、その演出内容が「ゲーム」というジャンルならではの内容となっていることになお感心します。映画や演劇における「第4の壁」の向こう側に存在するのは「観客」ですが、ゲームの場合のそれは「プレーヤー」となります。映画や演劇の「観客」とは異なり、「プレーヤー」はゲームに対して「操作」と言う干渉を行うことが出来るという意味で双方向的です。この違いを製作者は正しく理解し、演出、ギミックに活用しています。

ゲームにおける「第4の壁」の活用例は多々ありますが、古参のゲームファンである自分が思い出すのは『EVE The Lost One』という98年発売のゲームですね。この作品はアドベンチャーゲームにおける名作と名高い『EVE burst error』の続編として制作された作品ですが、はっきり言って世間的な評価は低いです。魅力に欠けるキャラクター、超展開ばかりで整合性のない破綻したシナリオ(脚本は無名時代の桜庭一樹!)などいろいろありますが、個人的にもそれらの評判には同意せざるを得ない内容でした。

www26.atwiki.jp

そんな『EVE The Lost One』なのですが、ゲーム終盤の演出が正に『第4の壁』を超える試みであったのが記憶に残っています。この作品はコマンド形式のアドベンチャーゲームであるため、プレーヤーはゲーム内のキャラクターを「話す」「移動」「取る」などの選択肢を指定して物語を進めていくのですが、終盤にいきなり画面が反転し、ゲーム内のキャラクターが「もうお前の言うことは聞かない」と言い出し、その後一切のコマンドを受け付けなくなり、勝手に物語を進めるようになります。あまり必然性のある演出とは言い難かったのですが、予告のない突然の展開だったので非常に驚いた記憶があります。

そんなことを思い出しながら『OneShot』をプレイしていたのですが、本作はこれまでプレイした昔の作品に比較しても、第4の壁を利用した演出が非常に洗練されており、ゲームと言うジャンルはまだまだ進化しているのだと改めて感じました。

本作はその特徴的なギミックや演出についての評価が高いですが、そのストーリーも面白い内容でした。”ポストアポカリプス”、”多次元宇宙論”、”世界シミュレーション仮説”と言ったテーマがその童話的な語り口やグラフィックに取り込まれることで平易化され、その小品というべきボリュームに密度の濃いストーリーを展開する手腕には脚本家のレベルの高さがうかがえます。(ネタバレになるので反転表示)

主人公のニコを始めたとしたキャラクターの造形も魅力的で、優し気だが同時に物悲しくもあるBGMも良く雰囲気が出ており、総じて全体的にレベルの高い作品でした。

本作の演出はPCゲームならではの部分が大きいので、PS4などの据え置き機に展開されることは技術的に難しいでしょう。また、先述したようにゲームならではの演出が本作の肝となる点であるので、アニメなど他ジャンルへの展開も厳しいでしょう。それでも気になるという方はお手持ちのPCでぜひプレイしてみてください。他には見られない体験を得ることが出来るでしょう。

謎解きと言ってもそれほど難しくもなく、攻略サイトを見ずともクリアできる程度の難しさです。むしろ本作を堪能するためには、ぜひ攻略サイトを見ずにクリアしてほしいです。

 

『マッドマックス』シリーズ:ヴィラン、カーチェイス、そしてV8!

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『マッドマックス』シリーズ。MoviePlusで全4作品を連続放映していたので週末一気に視聴しました。シリーズ1~3はこれまでに何度も観ていましたが、最新作の『マッドマックス 怒りのデス・ロード』は初視聴です。

感想としてはとにかく『マッドマックス 怒りのデス・ロード』が大変素晴らしいです。シリーズの4作目、しかも前作から27年ぶりで、監督のジョージ・ミラーが当時御年70を超えていたことを考えるともう驚異的としか言いようがない仕上がりですね。

各作品の評価(5点満点)としては

マッドマックス:3

マッドマックス2:3.5

マッドマックス サンダードーム:2.5

マッドマックス 怒りのデス・ロード:4

と言うところです。

『マッドマックス』の主人公であるマックスは基本的に「巻き込まれ型」のヒーローなんですよね。マックスは基本的に荒野の流れ者です。生きる目的や戦う理由があり、自ら他人を巻き込んでいくタイプの主人公ではありません(「妻子を殺害した暴走族への復讐」という明確な目的のある1作目は例外)。基本的にトラブルに巻き込まれるか、個人的な事情(ガソリンを補給するため)で首を突っ込み、手助けをするのが2作目以降のパターンです。そのため、映画の主役はタイトル通りマックスですが、物語上の主役は必ずしもマックスではないという構造になっています。このことは各作品の粗筋を一言で説明すると分かりやすいです。

マッドマックス:妻子を殺された警官(=マックス)が暴走族に復讐する物語

マッドマックス2:製油所に立て籠もる人々がギャングから逃亡し新天地を目指す物語

マッドマックス サンダードーム:核戦争後に残された子供たちが故郷を目指す物語

マッドマックス 怒りのデス・ロード:逃亡した女性たちが「緑の地」を目指す物語

つまり2作目以降のマッドマックスは基本的に「逃亡の物語」であり、その主役は映画における主役であるマックスではなく、マックスはあくまでその手助けをする役割であることが2作目以降一貫した流れになっています。

このような「巻き込まれ型」の物語の場合、最初は物語上の脇役でしかなかった主人公が、ドラマの中で挫折や葛藤を乗り越え成長し、周囲の共感を得て物語上の主役となる(=映画の主役と物語の主役が軌を一にするまでをクライマックスに向けたドラマとする)脚本とすることが多いと思うのです。ドラマとして盛り上げやすく、観客の共感も得やすいですし。

しかし「マッドマックス」シリーズはそうではないんですよね。マックスは基本的に最後まで手助けをするだけです。それもどちらかと言えば仕方なしに。おまけにマックス自身も個性的とは言い難いキャラクターですし、前述したように分かりやすいヒーローではないので、本シリーズは主人公の魅力で人気を得ている作品とは言い難いのですよね。

では何が本シリーズの人気を支えているのか?言い換えればファンは何を本作に求めているのか?私の感想としては「ヴィラン(およびその周辺の世界観)の個性ある造形」と「迫力あるカー・チェイス」なのかなと思っています。その方向性を示したのは2作目である「マッドマックス2」だと思います。ヒューマンガス様、人気ですよね。ムキムキの肉体にホッケーマスク、序盤の名演説。今やネット上のアイコンの一人です。

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また、「マッドマックス2」の終盤の、世紀末仕様のカスタム車によるカー・チェイスも他の映画にはないこの映画の個性であり魅力の一つでしょう。

「マッドマックス サンダードーム」が知名度のわりにコアなファンの評価が前作に及ばないのはこの2点が弱いからだと思うのですね。「サンダードーム」のヴィランティナ・ターナー演じるアウンティですが、前作のヒューマンガスに比べるとビジュアル面でのインパクトもキャラクターのクセも弱いです(あくまで相対的に、です。ヒューマンガス様が強すぎるんです)。映画終盤もカー・チェイスならぬトレイン・チェイスで時間的にも短いですし、なによりも追われるマックス側で誰も死なないんですよね。前作では主要なキャラをバンバン殺していたのに。

「サンダードーム」はハリウッドの影響力が強いとされている作品ですが、なるほどハリウッド流に薄められてしまったな、という感想が強いです。いかにも80年代のアクション映画的で、ヴィランとカー・チェイスと言った本シリーズの個性が抑えられてしまっていると思います。個人的には嫌いな作品ではないんですけどね。特にティナ・ターナーがいいんですよ。昔見た吹替版の最後で「私の負けだ。男だねぇ」と言い捨てて去っていくところなんか。でも「マッドマックス」シリーズとしては個性が劣る点は否めないところです。

そして「マッドマックス 怒りのデス・ロード」ですが、これは「マッドマックス2」で確立した方向性を徹底的に際立たせた、正に「皆が待ち望んでいたマッドマックス」と言える作品でしょう。

「2」におけるヒューマンガスに相当するヴィランとして本作ではイモータン・ジョーが登場します。

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より世紀末感の増したその造形もさることながら、そのカリスマ的なキャラ付けに加え、それを引き立てる周辺装置もまたアクが強いことこの上ないです。ジョーの為に死すことを無上の喜びとする「ウォー・ボーイズ」、スピーカー満載のトラックでツインネックギターをかき鳴らす「ドーフ・ウォリアー」などビジュアル的なインパクトが抜群です。ポスト・アポカリプスの作品がさんざん作られてきた現代で、斬新ではないもののこれだけのインパクトがあるイメージを作り出すジョージ・ミラーの映像作家としての手腕はさすがです。

カー・チェイスについては言わずもがな。2時間を超える本作の8割以上がカー・チェイスと言う徹底ぶり。規模も迫力も長さも倍どころの騒ぎではありません。本作がファンから絶賛されているのは知っていましたが、ここまで振り切った作品ならば当然でしょう。むしろ本シリーズのファン以外に需要があるのか不安になるレベルです。

でも本作は一般的な評価も高いんですよね。受賞は逃したもののアカデミー賞でも作品賞、監督賞にノミネートされていますし。これだけ「濃い」映画が何故一般的な評価も得ることができたのか?それはやはり本作の物語上の主人公であるフュリオサの存在が大きいでしょう。カッコいいですよね、フュリオサ。タフでクールなリーダーであり、皆を導く優秀な戦士。作品上の主人公であるマックスよりも分かりやすい主人公であると言えますが、本作が前の2作と大きく異なる点がこの点です。本シリーズではマックスは必ずしも物語上の主人公ではないと言いましたが、一方で前2作では分かりやすい物語上の主人公はいないのですね。前2作の物語上の主人公は「別天地を目指す人々」であり、特定のキャラクターではありませんでした。そのため観客が共感、投影するキャラクターが不在でしたが、本作ではフュリオサという明確な主人公が物語に存在します。フュリオサという物語上の主人公を設定し、魅力的に描くことに成功したことが、マニアのみならず一般の映画ファンにも広く受け入れられた大きな要因であると考えられます。

しかし本作もやはり「マッドマックス」。何よりラストが良いです。凡庸な作品ならば、脚本にマックスとフュリオサのロマンスの種でも撒いておき、ラストは2人の群衆に囲まれたキスシーンで終わってもおかしくないのですが、そこはやはり「マッドマックス」。マックスはやはり最後には物語の主人公たちを置いて去っていくのです。去っていかねばならないのです。これまでと同じように。さすがジョージ・ミラー、よく分かっています。

とにかく齢70を超えて、最新作にしてマニアもそうでない映画ファンも唸らせる最高傑作を送り出すのですから脱帽と言うしかありません。いろいろと説明はつけられますがとにかく作り手の熱情がすごい映画です。堪能しました。

『Factorio』が面白い

ここしばらく時間の融通が利くようになり、久々にゲームを楽しんでいます。登録しただけで放置していたSteamのアカウントを再開していろいろと面白そうなソフトを物色しています。

昨年はサマーセールで購入した『Fallout4』ばかりやっていましたね。私はファミコン世代のど真ん中にいましたが、もっぱら据え置き機専門で、しかもここ10年程ゲームとはご無沙汰でしたから洋ゲーオープンワールドも初めての経験でした。なるほどこれはハマるのもよく分かります。『Fallout4』はバニラでストーリーをクリアしたのち、いろいろとMODを入れてクラフトを楽しんでしましたが、昨年のウィンターセールで、またいくつかソフトを購入したのでいったん終了しました。

で、次に始めたのが『Factorio』です。

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これがまた楽しい。ジャンルはいわゆる工業系のシミュレーションです。未知の惑星に墜落したプレーヤーが、その星の資源から様々な製品を開発し、最終的にロケットを作成し、脱出するゲームです。

最終目標であるロケットの開発までには様々な工程と素材が必要であり、更に高度な部品、製品の開発を行うには研究を行い、製造レシピを開放する必要があります。手掘りから初めて、燃料、電力の開発を行い、資源の採掘や素材、部品の製造を行います。膨大な素材を必要とする製品開発を一人ではカバーできないため、ベルトコンベアやインサータを配置して製造ラインを作り、工程を自動化して効率的な工場の開発を行います。

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こちらが私の工場です。全体の半分、後工程の部分ですね。問題への対応を繰り返すうちに複雑化してしまい、プログラムで言えば立派なスパゲッティ状態です。各工程だけ見れば非常に単純で、作成する製品に対して必要なだけの素材を投入し、取り出すだけなのですが、何せ必要な部品の数と、その作成に必要な素材の数が膨大なので、なかなか効率的なラインになりません。また、ロケットの作成に至る製造と、各工程に必要な製品レシピの研究を並行することに加え、度々原住生物(バイター)の襲撃を受けるので防衛体制も整える必要があります(弾丸や武器も当然自分で開発、制作が必要)。

時間が経過するほどに巨大化するラインの中でボトルネックとなっている工程を探し、解決することの繰り返しですが、あるボトルネックの解決が、さらに別のボトルネックを誘発するなどなかなか休ませてくれません。試行錯誤を繰り返しつつようやく先日最初のフリープレイをクリアしました。

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しかし実際にロケットを飛ばすところまで来ると、もはやそんなことはどうでもよくなるのがこのゲームの怖いところです。このゲーム、最終目標であるロケットの発射後もプレイを続行できるのですが、現在も延々と続けている状態です。まだ研究もすべて完了していませんし、原子力発電など試していない施設も残っています。バイターへの対応も施設の防衛から資源収奪の為の攻撃に移り、工場のラインももっと単純化できるのではないかと色々いじっているのですが、とにかくやめどころがないのです。おかげでウィンターセールで買ったソフトは全く手を付けられていない状態なのです。時間泥棒と言うやつですね。MODも豊富ですしまだまだ楽しめそうです。

要は並行して走るIn/Outのラインを如何に効率的、かつ拡張性を保って作るのかが問われるゲームです。内容的にプログラマーやSEなどのソフト関係者やプロジェクトマネジメントに従事するような人は結構ハマるかもしれません。

PS4などの据え置き機では販売していませんが、¥2,300でこの内容であれば十分な内容だと思います。

 

就寝時に観る番組

視聴しているとどうにも眠くなる番組があります。別につまらないわけでは無く(中にはそういったものもありますが)、疲れた時などは観ているうちに眠くなりやすい番組のことです。どのようなものがそれに該当するかは人それぞれでしょうが、私はそのような番組を就寝時に視聴するのが習慣になっています。横になり、だいたい30分から1時間程度の番組を観ているうちに眠くなり、良い感じに睡眠できます。

観る番組はだいたい決まっています。

 

『The Joy of Painting』

日本では昔『ボブの絵画教室』のタイトルでNHKのBSで放送されていましたね。イントロとエンディングのみBGMがかかり、本編ではボブがいろいろと説明しながら淡々と絵を描いています。


Bob Ross - Arctic Beauty (Season 6 Episode 7)

刷毛をパイプにパタパタ叩きつけて水気を取る際にいちいちくすくす笑うのがお約束です。BGMもなく、ただ絵を描く様を映すだけなので絵が仕上がる30分後には良い感じに眠くなります。

Amazonプライムで視聴できます。

https://www.amazon.co.jp/Bob-Ross-Joy-Painting/dp/B01FI5QBX6

 

『全国秘境駅ファイル1~3』

こちらもネットの片隅では有名な番組。「秘境駅」とは提唱者の牛山隆信氏によると「周囲に人家が少なく大自然の真っ只中にある駅」のことだそうですが、この番組は全国に点在する秘境駅を紹介するものです。

秘境駅の風景とそこを往来する列車の往来を、ゆったりとしたナレーションで紹介する番組で、こちらもほとんどBGMがかからず、淡々と風景を映し出すタイプの番組で、観ているうちに眠気に誘われます。

こちらもAmazonプライムで視聴できたのですが今は消えたのですかね。CSでは旅チャンネルで時々再放送しています。

 

『名車再生クラッシックカー・ディーラーズ』

最後はディスカバリーCHの人気番組です。前の2つとはかなり趣が異なりますが、こちらも意外に就寝時によく見る番組です。CSのドキュメンタリーCHにありがちな、リアリティ・ショー形式の車番組(『ファスト アンド ラウド』や『カウンティング・カーズ』など)と異なり、この番組はレストア作業が中心なので、車いじりが好きな人にはこちらのほうが好まれるでしょう。作業中心の構成なので単調な部分があり、それが就寝時に適しています。


名車再生ロータスエラン

エドのレストア作業部分は本人が解説している際にはBGMがなく、BGMが入る部分ではエドの解説がないのが個人的には好きですね。最近のシリーズではカスタムが中心となり、昔のようなレストアが少なくなっていたのが不満だったのですが、新メカニックが登場する今シーズンはどうなりますか、楽しみです。

 

だいたいこの3番組をローテーションしています。基本的に「BGMのない番組」「ドラマのない番組」「構成が単調な番組」を就寝時に観ています。最近の番組であればディスカバリーの『組み立て再生リアセンブラー』などが良いですね。


組立再生!リアセンブラー

”Top Gear”でおなじみのジェームズ・メイが、ブツブツつぶやきながらギターや芝刈り機などの工業製品を部品から組み立てる”だけ”の番組です。こちらもBGMもなく淡々と作業を映すだけでいかにも寝つきが善さげです。放送中の番組は吹替の声優のイメージが合わないので字幕版が欲しいところです。

他にも就寝時に適した番組がないか、Amazonプライムなどで探しておきたいです。

PLANET OF THE APES/猿の惑星 : 史上最も”オチ”が知られた映画に挑んだ結果は?

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評価:3点(5点満点)

総評

1968年に公開されたSF映画の名作『猿の惑星』をベースとして制作された2001年公開のアメリカ映画です。

猿の惑星』と言えばSF映画史上に名高い名作であると同時に、おそらく映画史上最もその”オチ”が知られている映画の一つでしょう。映画そのものは観ていなくとも、そのオチだけは知っているという人もかなり多いのではないでしょうか?本作はそんな名作を下敷きに新たに制作された2001年版の映画です。監督は鬼才ティム・バートン

前提として本作は68年版『猿の惑星』のリメイクではなく、あくまで68年版をベースとした”リ・イマジネーション”であると監督は述べています。実際ストーリーに68年版(およびそれに続く一連のシリーズ)との直接の関係はなく、前作、前シリーズを観ていなくとも問題は無い内容となっています。

とは言うものの、そこはやはり『猿の惑星』の名を冠する本作も基本的な設定やストーリーは前作を踏襲しています。「主人公の宇宙飛行士が事故の結果不時着したのは、猿が人間を支配する惑星だった。」という導入から始まり、その後主人公がたどる道程はほぼ68年版と同様の流れとなっています。(猿の集団に捕まる→猿側の理解者の知遇を得る→知遇者と人間の一部を引き連れ脱出)

ここまで前作を踏襲した流れとなっているわけですからやはり前作最大の衝撃であったあの”オチ”をどのように処理するのか期待がかかるわけです。しかも監督がティム・バートンですので、単純な模倣にはとどまらないだろうと更に期待は増します。

で、その肝心の”オチ”なのですが、少々微妙な内容でした。内容はネタバレになるので書きませんが、どうやら公開当時も賛否両論だったようです。実際内容的に唐突に過ぎるところもありますし、あのラストからなぜこのオチにつながるのか?という整合性が説明できない点があるのも事実です。ただこの”オチ”だけをついて本作を前作に対する失敗作と断ずるのは尚早だと思うのですね。

68年版『猿の惑星』はあまりに有名すぎる”オチ”のせいで、むしろ「観られることが少ない名作』だと思いますが、その続編である4作品すべてを観ている方はさらに少ないでしょう。『猿の惑星』シリーズは『猿の惑星・征服』までの4作品で1作目からの疑問・伏線を回収する、シリーズものとしても屈指の傑作なのです(最終作は外伝的な要素が強いですが、こちらもラスト・シーンが有名)。そのことを考慮すると、本作のオチも本来続編でその秘密が明かされることを狙ったものだと考えられます(どう考えても続編を意識した内容ですし)。結局続編が作られることがなかったため、その謎は永遠に謎のままですが、もし作られていればまた評価も変わったものになったかもしれません。まあ68年版はそのオチも含めて第1作単体でも十分に作品として成立することを考えればやはり映画の出来としては68年版に軍配を挙げざるを得ないのですが。また、68年版と異なり人間側が退化(言葉をしゃべらない、文化を持たない)しているわけではないのに、猿に従属しているなど本作のみを観ても整合性が取れない部分は多々あることも否めないでしょう。

一方で本作ですがキャスティングが面白いです。主演のマーク・ウォルバーグ以外にも、ティム・ロス、ヘレン・ボナム・カーター、マイケル・クラーク・ダンカンなどのスターがキャスティングされていますが、主演のウォルバーグ以外はすべて猿側の役なのですね。当然猿の特殊メイクのため、俳優本人の顔が分かり難いですし、どうせメイクするならこれだけのビッグ・ネームでなくても、と思わなくもありませんが、そこはまあ、ティム・バートンですから(ティム・ロスはあのメイクでも分かりやすいですし、本作一番の熱演と言っても過言ではないです)。主人公達が馬で逃走するシーンではヒロイン(?)のディナの馬だけずっと白馬なのはやはりギャグのつもりなのか、とかポール・ジアマッティ演じるリンボのキャラなど、所々に監督らしいユーモアを感じる作品でもあります。

あとカメオ出演(?)的に68年版の主人公テイラーを演じたチャールトン・ヘストンが登場するのですが、その配役がアレなのはやはりリベラル支持のティム・バートンから見たヘストンの投影なのか、と勘繰るのは穿ち過ぎでしょうか・・・

続編がつくられていればもっと評価されたかもしれない本作。68年版を観たことのない方であれば楽しめる映画だと思います。

BS1スペシャル 「少女が神になるとき ~クマリ ネパールの祈りとともに~」:現代の「生き神様」

1/2放送のBS1スペシャル「少女が神になるとき ~クマリ ネパールの祈りとともに~」を視聴しました。

 

www.nhk.or.jp

”クマリ”と呼ばれ、ネパールで信仰される「生き神様」についてのドキュメンタリーです。”クマリ”は3歳程度の少女から選定され、選ばれた少女は初潮を迎えるまでの約9年程度を生き神様として過ごすことになります。家族から離れ、「クマリの館」と呼ばれる家で生活し、年に数回祭事を執り行う場合を除き、館から外出することも許されません。番組では”クマリ”を巡るネパールの人々の信仰を追い、更に12歳を迎えた当代のクマリが新たなクマリへと交代する様子を伝えます。

6年ほど前にネパールを旅行した際に、私もガイドに連れられてカトマンズの旧王宮広場にあるクマリの館を訪れたことがあります。番組を視聴したのもその時のことを思い出したからなのです。当時のガイドさんの話によれば、クマリの館はカトマンズ観光でも定番のコースなのだそうです。番組でもその様子が映されていましたが、一日に何度か窓からクマリが顔を出して、人々が祈りをささげる様子をうかがえます。その場には外国人も立ち会えます。ただし、クマリの写真を撮影することは禁止だったのですが、その慣習は今でも守られているようです。

番組で興味深かったのは、後半で描かれるクマリの代替わりのシーンですね。番組では先代のクマリにも取材を行い、生き神から人へと戻る際の苦労も語られると同時に、当代のクマリの父親のインタビューではクマリという制度を如何に現代に継承してゆくか、その一方で一人の父親として生き神から人に戻る娘をどう迎えるべきか苦慮する様子が描かれます。私がネパールへ旅行したのが6年ほど前なので、その時のクマリがこの番組で代替わりした彼女なのでしょうね。彼女が新たなクマリその座を譲り、館を出て家に帰り、人としての生活を始めて中学校に編入するまでの様子が描かれるのですが、過度に情緒的とならず淡々とその様子が映されるのですが、その様子は一つのドラマとして不思議に胸を打つものがありました。同じBS1スペシャルの番組でも先日の「欲望の資本主義2018」はひどい出来でしたが、こちらは地味な内容ながら良作でした。

”クマリ”という制度自体はPC的な文脈では批判、非難を受けかねないものである可能性もあるのでしょうが、ネパール国民以外の立場でそのような指摘を行うのは憚られるとも感じました。

BS1スペシャル「欲望の資本主義2018 闇の力が目覚めるとき」:新年一発目でコレは辛い

1/3にBS1で放送された「欲望の資本主義2018 闇の力が目覚めるとき」を視聴しました。この番組昨年も放送されていて、視聴した記憶がある(中身はさっぱり覚えていませんが)ので、一応録画しておいた次第です。

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で、感想なのですが、はっきり言って時間の無駄としか言いようがありませんでした。正直なところここまで内容がスカスカの番組とは思いませんでした。この番組を企画した人物が、番組を通して何を訴えたかったのか最後までさっぱり分かりませんでした。

2018年新春。新たな年の始まりに、私たちはどこから来て、どこに居て、どこへ向かおうとしているのか?ぜひ一緒に考えましょう。 

 番組のプロデューサーはこのようなコメントをしていますが、要するに問題意識もそれに対する答えもなく、漠然としたテーマだけを基に各国の知見者のコメントを繋いで番組を作っただけの粗悪な代物としか思えませんでした。インタビュー・ドキュメントと称してはいますが単なるコメント集以上のものではないでしょう。

一応タイトルにもあるように、現代における資本主義のあり方が番組のテーマであり、それが現在ある種の行き詰まりを見せているのではないか、と言うことを問うているのですが、なんと言うか何を焦点に話をしたいのかわからないのですよ。テクノロジーの発展と成長の関係を話したかと思えば格差問題に移り、唐突にテーマがポピュリズムを巡る問題に変わったりと、個々の問題を見れば確かにそれぞれ現代社会における課題ではありますが、「欲望の資本主義」をテーマとした一貫性が全く感じられないのです。

企画者はおそらく資本主義が限界を迎えているのだと考えたいがためにこの番組を企画したのでしょうが、代替として挙げられるのがバーニー・サンダースに代表される社会主義的な思想という陳腐なもので、それはあくまで互いに補完関係にあるだけで代替でも何でもないだろうとツッコミを入れたくなるような内容ですし、資本主義のアンチテーゼとして今更マルクスシュンペーターはないだろうとしか言えません。全く新しい視点が感じられないのですよ。酒場の愚痴をアカデミズムで装ったものにすぎません。

サブタイトルにある「闇の力」とやらも結局その実態が何であるか明らかにされません。ポピュリズムグローバリズムが示唆的に言及されていますが、前者は資本主義と言うよりは民主主義の課題として扱うべきでしょうし、グローバリズムについてはあくまで先進国の中産階級の視点からのみその弊害が語られます。グローバリズムが実現した新興国における経済レベルの底上げなど、恩恵となる部分は全く言及されません。

テーマも曖昧で取り上げるトピックも陳腐。識者へのインタビューの間がモノローグじみたナレーションでつながれるのですが、この内容がまた情緒的なばかりで繋ぎになっていない。あまりにこのモノローグ部分が退屈なので何度も寝落ちしたくらいです。

敢えて見るほどの内容ではなかったというのが正直な感想です。そもそも「闇の力が目覚めるとき」なんてサブタイを大真面目につけるような番組を観るべきではありませんでした。厨二病か。